信者 ...?


以前いただいたコメントを読んでいた時に、ふと思った。 私って、サイババ の信者... かな?
何をいまさら・・・と、思う人もいるかもしれないけれど、私が抱く “信者” というイメージに当てはまらないから、なんかそんな気がしない・・・。

ウィキペディアによると、信者とは、「特定の宗教を信仰する者。別に信徒(しんと)、「〜教徒」とも言う。」と書いてある。


かってなイメージかもしれないけど、信者ってなんか盲信的で、近づいたら事あるごとに勧誘されそうで、怖い気がする。 宗教なんて、もっと怖い。 高価な霊感商品の購入を強制されたり、この宗教(教祖)だけが正しいと洗脳された挙句、脱会したら不幸になると脅されそうだし・・・。でも、信仰心というか、ウィキペディア冒頭でも触れているみたいに、「人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念・力」は存在し、信じたいと思うし、なにも私が意志をして心臓を動かしたり食べた物を消化しているわけではない。そういった意味で、生命力自体、神秘だと思う。

昔、高校留学する前にコンサルタントから教わったことがある。「宗教に属しているというのは社会性があることを示すから、キリスト教徒が多い欧米社会では、無宗教無神論者と自己紹介すると反社会的なアブナイ人間と思われることもあるので、とりあえず、“仏教徒”と伝えてくださいね」・・・。

2300年前から、アリストテレス がすでに「人間は社会的な動物」と説いているけれど、一体、「社会的に生きる」経験によって何を習得して、どこへ到達するんだろう?...ということに興味が湧いた。 動物と同じく人間も、たった一人、裸で生まれ、何も持たずに裸で、死んでいく。 ・・・、それなら人間と動物の違いは何なのかな? という疑問も浮かんだ 。そういった問いを探索するにも、「人間の力や自然の力を超えた存在」を解き明かす宗教やスピリチャリティーに興味を頂くのはごく自然な流れのような気がするし、そもそも、なぜ人は困った時に神頼みになるのかな? (あれ… 私って暇?)


多くの宗教は、愛という名のもとに“自分(の信じているもの)だけを信じなさい”と言ってエゴを競い合い、戦争まで起こる始末。一般的な現代日本人がそうであるように、私は以前、宗教嫌いだった。しかし、我が家の宗教歴は、面白い。父は天理教、母は日蓮宗と、それぞれ別の宗教に所属していて一時期は、前世で高名な聖者だったという人が先導する自己啓発グループに通っていたこともある。

素晴らしい方々もたくさん所属しているけれど、そこでみた宗教… いわゆる共通点は、他の宗教の話をするのは基本的にNGで、うっかり口を滑らせて例えば、ある宗教の人に向かって、正月には○○の神社に参拝してきたとか、クリスマスイヴには、教会に行って祈りを捧げてきた・・・なんていうと、明らかに、(だけど微妙に)嫌な顔をされ、軽い沈黙の中で“非常識”という烙印を押される気がする。あたり前、といえばあたりまえだけど・・・。


ある時、サイセンターに通う知人と話していた時、「○○さんは、どの神様が好きですか?」と聞かれて質問の主旨を把握できずに困ったことがある。「え・・・?サイセンターに通う人はみんな、サイババを信奉しているんじゃないんですか?」「いや・・・それはそうだけど、好きな神様はいないの?」思わず、そんなことをしてもいいのだろうか?と心の中で疑問が湧いた。なぜなら、八百万の神がいるとはいうものの、どちらかというと一神崇拝を尊ぶ文化に生まれ育ったから。


私はサイババを大好きだけど、スワミだけを信奉しているわけではない。。。と思う。 というか、サイババを知ってから、今まで触れたことのない世界の宗教の存在を知るようになった。サイババは、文化の数だけ、心の態様の数だけ、宗教が存在している・・・ そして信奉者には、宗教 について 次のように説いている。


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『私は既存の信仰の邪魔をしたり
既存の信仰を破壊するために来たのではなく
皆さんに自分の信仰を確信させるために来たのです
それ故、キリスト教徒はより良いキリスト教徒になり
イスラム教徒はより良いイスラム教徒になり
ヒンドゥ教徒はより良いヒンドゥ教徒になります』



『一つの宗教が他の宗教より優れているとか、または他の宗教の方が劣っていると考えることは無知の証拠です。全ての宗教の教えは神性です。基本的な教義は真理に基づいています。魂の真理は宗教の本質であり、全ての聖典が伝えることであり、全ての形而上学の基礎です。宗教はたくさんありますが道は一つです。職業はたくさんありますが生活は同じです。それ故、調和の下に生活し、同胞意識を培いなさい。SSS Vol. X; Page-179 』
・−・−・−・−・−・−



その言葉を裏付けるエピソードを母から聞いたことがある。
前世高名な聖者と云われている指導者が、ある時期、頻繁に他の宗教団体を批判していたけれど、いつからか一切、他の宗教の批判をしなくなったらしい。気になって(興味が湧いて)母が側近に聞いたところ、批判をすると、サイババから無視される・・・とのこと。 その話を聞いて、「万教を統べる母」といわれるサイババらしい教訓の授け方だなぁと思った。


プッタパルティの丘の上には、二つの博物館がある。
一つは、五大宗教を展示している、白い三連屋根の建物にあるエターナルヘリテイジ博物館。 そしてもう一つは、サイババの人生と軌跡を展示している 「 チャイタニヤ・ジョーティー 」。 宗教博物館には行ったことがあるけど、 Chaitanya Jyoti は 遠そうなのでまだ足を運んでない。。。 こんど機会があったら、行ってこようと思う。


ヴェーダは宣言する


エーカム サット ヴィップラーッ バフダー ヴァダンティ
(真理は一つ、しかし賢者はそれをさまざまな名前で呼ぶ)


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