東北地方太平洋沖地震 − その2

家族に一人でも、神を信仰する人がいれば、「その人の祈りを通して、家族全員が守られる」という話を、様々な体験談と共に、幾度も聞いたことがあります。


神への祈りが御守となり、家族全員を御加護する・・・。


今回の大地震で、東北地方から上京し、長年、東京のサイセンターで積極的に奉仕活動をしていた方に起きた、あるエピソードを紹介したいと思います。


あるサイの帰依者のご両親とご兄弟は、壊滅状態の岩手県津軽石の、宮古湾近くにお住まいでした。その為、連日放送されるTV中継で何もなくなった故郷の状況を見て、たまらなく涙を流し、心配をしていたそうです。
本来ならば、災害現場に一般人が入ることはできない状態だったのですが、多くの方々の力を借り、奇跡的に、震災発生から二日後の昼過ぎには災害現場に入ることができたそうです。

そして現地の避難所、安置所を捜して回りましたが、ご家族の姿はどこにも見つかりませんでした。

しかし月曜日の朝に連絡が入り、高台に避難をしていたご両親、ご兄弟に再会することができました。壊滅状態の中、その方のご実家は、崖の近くに残っていたそうです。ただし、家の中は空っぽでした。


私はこのエピソードを知って目頭が熱くなった。
そのメールは、次の言葉で締めくくられていました。


スワミは、帰依者本人だけでなく家族までも守ってくださいます。
まだ、ご家族、知人が被災地にいらっしゃる方、スワミの愛を信じましょう。


周りの家がなくなっている中、奇跡的に一軒だけ残っていたのは、その人の祈りを通して、遠く離れた故郷にいる家族を、神様がご加護なさった証なのかもしれません。



今回の大地震で、世界中の人々が「祈る」という行為に近づいたように思えます。
普段、「祈り」とは無縁の多くの日本の方々も、今回だけは、神様に同胞の無事を祈られたかもしれません。そして中には、「そんなことを言っても実際、本当に祈りは神様まで届くのかしら?」という疑問を抱く方もいらっしゃるかもしれません。


サイ・ババは以前、帰依者に対して次のように仰ったそうです。


『あなたがたは、祈りを捧げる時、「果たしてこの祈りは神に届くのだろうか?」と疑問に思うことがありますね。もし心から祈りを捧げれば、その祈りは必ず神に届きます。

簡単な例を挙げましょう。

あなたが手紙を書き、宛名を封筒に書いて投函する時、あなたは、「果たしてこの手紙は相手に届くだろうか?」、「いったい誰が、どのようにこの手紙を届けるのだろうか?」と、思い悩むでしょうか? いいえ、決してそんなことはしません。神への祈りも全く同様で、もしあなたが心から祈りを捧げるならば、祈りをささげた対象の神は必ずそれを受け取るのです。』


私はつい先日、数カ月ぶりにスワミがモーニングダルシャンにお越しになった事を思い出した。

その後、スワミを乗せた車はヒルビュースタジアムへと向かった。
そして丘の上にそびえ立つハヌマーン像のふもとで降車されたスワミは、ひっそりと像の周りをお歩きになった・・・。

その午後から、「ダルシャンは週に三回のみ」という過去数カ月間も続いたスケジュールが覆された。



それからスワミは、ほぼ毎日のように、ダルシャンにお出になるようになった。 

スワミがハヌマーン像の周りをお歩きになるエピソードを聞いたのは、サイババの幼少期が記された『His Story (ヒズ ストーリー)』 以来・・・。


このスワミの行動を不思議に思った私は、「なんとかその理由を知りたい」と思っていた。そうすると、一週間後、たまたまアシュラムで会った彼の後輩から、ある話を聞いて、その謎が解けた。


サティヤサイ大学の学生寮では、毎晩ハヌマーンチャリサを吟唱し、火曜日と土曜日にはハヌマーンにアーラティ(献火)を捧げるのが恒例となっている(全員参加型ではなく、寮生全体の約10−15%の生徒・職員有志により執り行われています)

余談ですが、私はずっと、「土曜日は土星神を崇める日」だと思っていました。しかし、土星のドーシャ(悪い影響)を恐れる人も、土曜日にハヌマーンを崇めるそう・・・。なんでも、ラーマーヤナの中で、悪鬼ラーヴァナから土星や、他の惑星を解放した猿神ハヌマーンに対して、土星神が次のような恩寵を与えたそうな・・・。

 『土曜日に猿神ハヌマーンを讃える者には(障害をもたらす)土星の影響から解放する』



世界中で不和が勃発し、天災が頻発している昨今。
過ぎたる欲望によって人類が犯すカルマの代償をサイババが御自身の肉体をもって身代わりされているため、「紛争や天災が起こったりする際には身体が麻痺したり酷い状態になり、ダルシャンどころではないらしい」・・・。

それを知ったサティヤサイ大学の寮生や卒業生の有志達は、一定期間のあいだ、「ハヌマーンチャリサ」の詠唱を、よりパワフルなマントラスンダラカーンダ(Sundara Kanda)の吟唱へと切り替えたそうです。


スンダラカーンダは、インドの大叙事詩 ラーマーヤナの中で、猿神ハヌマーンが、ランカ島にシーター姫を助けに行く場面を描写するくだり・・・。

伝統的にインドでは、この部分の吟唱を、長期間の低迷状態から脱する際の儀式に使われています。


※ スンダラカーンダ(美の章)やヤグニャ(儀式)に関しては、ヴェーダ・プルシャ・グニャーナ・ヤグニャのページを参照ください。


その後輩によると、世界の安寧と、スワミの体調の回復への祈りを込めた(スワミが御自身の御力を、御自身の身体を癒す為に使われますように!という祈り)スンダラカーンダの吟唱を、有志達によって15日間続けたそうです。
そしてタミルナードゥ州のプレマバンダムが開催された2月26日に、最終日を迎えました。

翌朝の27日、スワミは、数ヶ月ぶりにモーニングダルシャンにお越しになり、そのままヒルビュースタジアムへと向かわれました。そしてその後、丘の上に立つハヌマーン像のふもとへと出向かれて、生徒達が捧げた祈りをお受け取りになりました。
しかも、スンダラカーンダの詠唱に参加していた彼は、スワミがハヌマーン像に行かれたことは知らなかったそうな・・・。


私にはまだよくわからないけれど、神様への祈りとは、結局そういうことなのだと思う。私達が発した祈りの行方が、私達に知らされようと、なかろうと、必ず祈りは、神様に届く・・・。



先進国の日本では、普段、非科学的な「祈り」に対して興味を抱く人は、そう多くはないと思う。

一般的に日本では、「祈り」に関して、「苦しい時の神頼み」とか、「困った時の神頼み」という、普段は神仏を信じる心をもたない者が、困ったときだけ神仏の加護を請うといった否定的な語彙の方をよく耳にする。

だけどそれでも、一筋の祈りから奇跡が生じ、感謝する心が芽生えて、その人の人生が少しでも神へと近付くのであれば、人事を尽くして天命を待たなければいけない非常事態の今こそ、私達はどんどん、神様を頼った方がよいのだと信じます。

なんてったって、神様の愛の懐は無限大だし・・・。 


では最後に、「祈り」に関してもう一つ、以前、彼が大阪センターで語った、とっても分かりやすい素敵なエピソードを紹介したいと思います。


これは数年前、サイババが学生に、ルッドラムシヴァ神の別名で暴風神の意)の詠唱を推奨されていた時、二人の対照的な生徒に起こったお話です。

一人目の学生は、十一章あるルッドラムのうち、第一章節目(ファーストアヌヴァーカ)までしか唱えられませんでした。
たったの一章節しか唱えられませんでしたが、いざ唱えるとなると、心を込めて意気揚々と、大声で吟唱し、第二章目に入ると、いつもパタッと吟唱を止めていました。その声の大きさから、この学生が第一章節目までしか唱えられないことは、周りの生徒達、みんなが知っていました。

二人目の学生は、非常に勤勉で、ヴェーダをよく勉強し、とても難しいと言われているルッドラムも、ほとんど網羅していました。「ヴェーダが得意」と自負していたこの学生は、多少記憶があいまいな個所があっても表情には表わさず、知ったかぶりすることも時にはありました。「できない」と認めるのは、勤勉で努力家な彼のプライドが許さなかったのです。


そうしたある日のダルシャン中、スワミは一人目の学生をステージの中央に呼び、皆の前でルッドラムを唱えるようにと命じられました。

一人目の学生は深々とお辞儀をして壇上に上がり、いつものように、意気揚々と、心を込めて大声で吟唱を始めました。
そうしてちょうど第一章節目の終わりに差し掛かろうとすると、スワミがその学生に吟唱を止めるようにと合図なさいました。
そしてみんなの前で、『この子はとても良い子だ。学校で教えているヴェーダも殆ど知っている!』と褒め讃え、その場でネックレスを物質化してこの学生にお与えになりました。

息を飲みながら、この学生を見守っていた友達は、コトの成行きに、ビックリして開いた口が塞がりませんでした。
「キミは一章節目までしか唱えられないのに、褒められてネックレスまでもらったなんて、一体、何が起こったの!?」みんながその秘密を知りたがりました。

そうすると、一人目の学生はこう言ったそうな・・・。
「スワミが僕を指名された時、本当に口から心臓が飛び出そうなぐらい、焦ったよ。そして心の中で祈ったんだ。スワミ、僕はスワミのことが大好きです。愛するスワミ、残念ながら僕はヴェーダの練習をしっかりしてこなかったので、ルッドラムを第一章節目までしか唱えられません。本当にごめんなさい!これから絶対にヴェーダをいっぱい勉強しますので、どうかスワミ、第一章節目が終わったら、僕の吟唱を止めてください!」



なんてキュートで健気な祈り。
スワミはその祈りをお聞き入れになり、第一章節目の終わりでお止めになった・・・。


そうして何日後かに、今度はスワミが、二人目の学生を壇上にお呼びになりました。

彼の友達は、ルッドラムを網羅しているこの生徒を、息を飲んで見守る必要はありませんでした。実際、二人目の学生は、完璧な発音を披露しようと自信満々でステージに立ちました。しかし何章節目かが過ぎたころ、頭が真っ白になり、幾つかの個所で吟唱が閊えてしまいました。
それに対してスワミは、『もう少ししっかりと、ヴェーダを勉強するように』とみんなの前で注意なさいました。



一章節しか唱えられないのに褒められた生徒と、ほとんどルッドラムを網羅していたのに注意された生徒の明暗を分けたのは、おそらく、行為をする前に、「祈り」を捧げたか否かの違いだったのかもしれません。

「祈り」を捧げることにより、常識の範疇で起こりうるであろうシナリオが書きかえられ、一般的に私たちが思う、 “奇跡”と言われている、私たちの想定を越えた現象や展開が繰り広げられる・・・。



ところで日本のサイセンターでは、先日、有志への呼びかけによって集まった義捐金の寄付や、全国から集まった救援物資を被災地に運ぶセヴァ(奉仕活動)を、2泊3日で行ったそうです。

「祈り」を中心とし、全ての行為を神への捧げものとして行うサイセヴァは、奇跡の連続で、スワミの御力を感じざるを得ないセヴァだったようですので、また折を見てその様子も紹介したいと思います。



東北地方太平洋沖地震 − その3に続く




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