Happy Vishu

理性のゆらぎの著者、青山圭秀先生が「大いなる生命」というグループを引率してプッタパルティに来られるみたいだから、会えるといいね、と日本の友人から連絡をもらっていた。

明日はタミル地方の正月。ケララ州のサイスクールの学生や南インドの参拝者たちでアシュラムは大賑わい。大変な時期に…。サイババは、先週には避暑地に発っているはずだったとかお祭りの後にコダイカナルに移動されるとか…アシュラムでは色々と噂が飛び交っている。


青山先生のグループは80数名で、プッタパルティの他、南インドの他の聖地も廻ってから帰国されるとのこと。参加者の方々は、長旅に疲れながらも楽しそうで、生き生きとされていたのがとても印象的だった。ツアー参加者の一人から、アガスティアの葉をご覧になった感想を聞かせてもらった。一個人の情報や、家族構成から前世までもが太古から予言されているとは、とても興味深い。


私がサイババの存在を知ったのは母が愛読していた青山先生の本がきっかけ。当時は、まるでフィクションの現代版おとぎ話を読んでいる感覚に近かったけど、時を経てサイババを深く知りたいとインドに移住しているのだから人生ほんとに、何が起こるかわからない。ツアーコンダクターが全員男性で、女性の方のダルシャンの引率がないとお聞きして、急きょガイドのお手伝いをさせて頂いた。サイババという人物がこの世に存在しているという事実を教えてくださった方に、少しでもご恩返しができたことを心嬉しく思う。

アシュラムの中は何かの流れに物事が沿って動いていて、必要な時に必要な面々がその場に居合わせている、といったことがよくある。こういった自然な流れで誰かに奉仕する機会を授かると、内側から、とても深い喜びが湧き上がる。きっと、神様がとっても近くに感じられるからだと思う。神様に私の肉体を使っていただけた、感謝に満ちながらも、どこか誇らしげな感覚。

でも、ここで注意が必要…自分に言い聞かせる。They needed a help と They needed my help では一つ単語が違うだけで、エゴの入りっぷりが大きく異なるような気がする。前者はただ単に手が必要だったと述べ、後者は私の、助けが必要だったと主張している。

サイババは、様々な悪はうぬぼれに起因すると説いている。全てがそうだと智るには私の人生経験はまだ浅すぎるけど、たとえば嫉妬をとってみると、嫉妬して苦しむのも、人にやっかみを抱いた挙句に、怒りの虜になって中傷したり悪い噂を流してしまうのも、各人が大切に育ててきた自惚れ、もしくはその欲求が傷つけられることから始まっているような気がする。感情においてもカルマにおいても、もがき苦しむのは、結局その人自身なのに、なんて不毛な…。
そして、こういった嬉しい時にこそ、得意になって自惚れが入り込みやすい様な気がする。悪い思考の芽は、発芽する前に摘んでおいた方が何かと楽。。。自惚れが入り込む余地のないように、注意深く心の動きを観察して、奉仕によって神様と共に居れたことに感謝する。願わくば、純粋で清らかな感謝を持ち続けられますように…。

夜は、バルビカスの子ども達による、クリシュナとラーダーの劇が上演された。他のゴーピーたちがクリシュナと仲良くしているのをみて嫉妬に苦しむラーダー、しかし最後にはクリシュナは皆のハートに住む遍在の神だと気付く…。子どもとは思えないぐらい、すごい感情が伝わってきて、大熱演だった。

祭典後、部屋に戻り、なんかやたらと騒々しいと思ってベランダを覗いてみると、となりの建物の屋上で、大晦日の?晩さん会が開かれていた。長い机を2列並べて、男性と女性・子どもに分かれてワイワイ楽しそうにご飯を食べていた。夜十時頃の遅い食事。男性陣が仕事を終わるのを待っていたのかしら。楽しそう。手を振って、挨拶をした。
信じられないかもしれないけど、普段、この屋上は、寝室に使われている。夜遅くに子供の声や大人の声が高々と聞こえてきたので不思議に思って外を見てみると、星空の下、大家族が川の字になって眠りに入る準備をしていた。部屋の中が暑いからなのかな。。。雨が降らないことを祈るばかりです。

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