サイ・ババの不確実性

パルティに着いた直後から、約何ヶ月ぶりかに朝・夕、二回ののダルシャンが再開した。
これは、ここ一年を振り返っても、とっても珍しいことである。


朝ダルシャンにはきっとスワミは来られないだろう・・・と思いながらゆっくりと準備をしていたら、ダルシャン終了を意味するアールティの鐘がいつもとは違う時間に鳴り響いていた。
「あ、スワミ、来られたんだ・・・。珍しい。」

プッタパルティの生活は、チェンナイの日々より圧倒的に移動距離や待ち時間が多く、かなりの体力を消耗する...。翌日もゆっくりと朝の時間を過ごしていたら、またもやアールティの鐘が早めに終わった。
「え、また・・・!スワミが朝ダルシャンに来られたんだ・・・。二日も続けて来られるなんて、珍しい。」


そして三日目・・・。

「や、やばい・・・。スワミ、毎日来られてる。スワミのダルシャンが恋しい!って彼にお願いしてプッタパルティに残っているのに、これじゃ、一足先にチェンナイへ戻った彼に顔向けできない・・・。」
そして案の定、昼前には彼から、「ダルシャン、どうだった?」という問い合わせの電話。
彼はサティヤ・サイ大学の卒業生専用メールを受信しているため、時には現地にいる私よりも早く、ダルシャンの様子やスワミに関する内部情報を入手している。


恐るおそる、「ダルシャン、出なかった・・・」と答える私に対して彼は、
「もぉー、せっかくスワミのダルシャンを授かりたいっていう希望を汲んで、一人寂しくこっちで過ごしてるのに、ダルシャンに出なかったら、本末転倒だよ…。パルティにいる間は、何があってもスワミのダルシャンを優先順位のトップに置くこと。スワミが来られても来られなくっても、これはサーダナ(霊性修行)だと思ってダルシャン会場にいなきゃダメだよ。」
何の言い訳もできない正論・・・。 
「はーい。」 子どものようにしょんぼりしてそう答え、翌日からダルシャンのトークン(くじ引き)に間に合うよう、久しぶりに超(?)早起きを、再開した。


それにしても、サイババが繰り広げる不確実性は、誰にも予測不可能。
ほんの数日前にアシュラムから「最近、スワミがダルシャンに起こしになるのは夕方に限定されているため、図書館とショッピングセンターの開館時間を変更します」と、公式メッセージが発表されたばかり。

すっかりダルシャンは午後だけ、と思っていたのに意表をつくこの展開・・・。


これについて彼が、2008年に起こったあるエピソードを語ってくれた。

この年、83回目の降誕祭に1000回目の満月を迎えたサイババアヴァターラが肉体をもって1000回目の満月を迎えるというのは非常に珍しいらしく、インドを代表する著名な聖者や二百名近い司祭氏達が集まって、「Sahasra Poorna Chandra Darshana Santhi Mahotsavam」と題した壮大な祝祭、そしてヤグニャ(儀式)が開催された。

この儀式の数ヶ月前から、ダルシャン会場では暴風神(シヴァ神の別名)を称えるヴェーダ、「ルッドラム」の練習セッションが開催されていた。そしてその間、サイババはサティヤサイ大学の学生達がヴェーダの練習に集中するように、と、男性の生徒側を避け、女性側のみを通って会場に入場することが通例となっていた。

そんなある日、彼がクラスメートと一緒に、「スワミは今日も男性側に来られないに決まってるさ」と冗談を言い合っていたところ...その日に限って、サイババは男性側に来られ、冗談を言っていた生徒たちの前を笑顔で通り過ぎていった...。まるで聖なる母が、戒めではなく愛という形をもって「私の行動を予測して断定するのは止しなさい」と、たしなめている感じ・・・。


そして、儀式最終日の映像に出てくる「黄金の御車」にも、知る人ぞ知る秘話が・・・。

儀式の前日、黄金の御車を完成させたセヴァダル(ボランティアスタッフ)たちが、アシュラムから約一キロ離れたヒルビュー・スタジアムに移動させようとしたときの出来事…。数十人のセヴァダルたちが一丸となって手押しで運ぼうと出発した矢先...門に対して御車が大きすぎて、どれだけ違う角度を試しても、アシュラムの外に出すことができない!

「あーぁ…」。
ここまで聞くと、インドっぽい話・・・と溜息をつきそうである。日本人ならきっと事前に、通過する門のサイズを測ってそれよりも小さめに作ったか、組み立て式に御車をデザインしたに違いない。

三日間の盛大なイベントのフィナーレを飾る「御車による入場」。これが不可能になれば、大失態、間違いなし。何度も試した挙句、セヴァダルの代表が勇気を持ってサイババの許に行き、事情を説明した。

果たしてサイババは、どのような対応をされたか・・・。

Don’t worry, try again. (心配しなくてよろしい。もう一度、試してごらんなさい。)」
そう言って、セヴァダルを優しく見送った。

現場に戻ったセヴァダルは、サイババの言葉を仲間に伝え、もう一度、試してみることにした。

そうすると何が起こったか・・・。

さっきまでの奮闘は嘘のように、今度はすんなりと門を通過した。あんなに苦戦したのに、今回はどこの角にも閊えることなく通り過ぎた。一体何が起こったのか・・・!?現代科学では解明できない摩訶不思議な出来事・・・。なんと門が少しだけ、縦に長く、横に広くなっていた…のである。

サイババの不確実性は、何も予測不可能なスケジュールに関してだけではなく、我々の観点では解明不可能な「奇跡現象」にも及ぶ…。

この話を聞いて、ある人は、「でっち上げ」だとか、「きっと集団催眠にかかっていたに違いない」、と思うかもしれない。何故ならヒトは、あらゆる事象を自分の管理下に置きたいという根本的な欲求 − 物知り顔でコトを語りたいという評論家的な側面をもっているわけだし、「わからない状態」を知的エゴが許さないから…。それに、「解らない事象・不可解なもの」は、なんとも生理的に、気持ちが悪い…。
だけどここで、「知的エゴ」や、未知なるモノへの「恐怖心」、「(自分より)優れていたり目立っている存在に対するやっかみ」をグッと抑えて「頭脳による情報処理には限界がある」ことを受け入れられないと、生涯、とっても苦しむことになる。そして幾世も、また幾世も、その道をひたすら歩み続けて自らをゴールから遠ざけることに・・・。

猜疑心に囚われた人々の中には、聖人が起こすこういった事象の裏を暴こうと騒ぎを起こしたり、時には(画像を合成してトリックに見せたり)する面々が出てきたり、一見信仰深いと思われる人々の中にも、善行に身を捧げる人々の行為に潜む「愛や純粋性」を理解できない人たちによって、「あれは売名行為、とか、ズルくて姑息」といった誹謗中傷を広める試みがなされるものの、そういった人々が神に近付けるかというと、おそらく答えは、否・・・ である。
これは私個人のきわめて狭量な私見に過ぎないけれど、「行為」に潜む「動機」は、それこそ各自の中で永遠に息吹く『良心』のみが識っていて、いつか返ってくる結果のみが、その「真偽」を示すのだと思う…。


あ、なんか話題が逸れちゃった。。。


ということで、チェンナイに戻ってきましたので、次回は、サイババの愛と不確実性に包まれた朝ダルシャンの様子をアップしたいと思います。


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