モーニング・ダルシャン ☆ 後半☆

スワミに対してこういう話題を取り上げるのも失礼な気がするけど、サイ・ババは、客寄せパンダのように参拝者に対して「物質化」を披露し、大衆の気を惹いて、信者を増やそうとお思いだろうか?

もし奇跡現象によって信者集めを望まれるのであれば、サイババは、人々に倫理道徳を説いて天啓聖典であるヴェーダの復興を促したり、子どもたちが理想的な市民となるように、小学校から高等教育までの一貫教育を無料で提供したり、診察費無料の病院を建てたりされただろうか?
もし、不思議な力を「売り」にされているのであれば、そういった慈善事業よりもむしろ、奇跡現象に惹かれて集まってきた人々から謁見料金を徴収し、受講料を集めて「マジシャン養成学校」や、「ヒーラー養成塾」、もしくは「解脱ヨーガ道場」みたいな機関を世界中に設立された方が、富や名声を得る上で、よほど手っ取り早いような気がする。
しかしサイババは、そういったこととは、無縁…。

私の人生が、私のメッセージです」と宣言するサイ・ババ。

教育指導者、社会奉仕者、人道的活動家、霊的指導者、アヴァターラといった数々の異名で呼ばれるサイ・ババにとって「物質化」は、自らの神性を証明するためではなく、愛の証、信じて頼る人々への祝福、励まし、そして慰めの一つとして人々にお与えになるのだと思う。

そもそも、霊性に対する審美眼というのは、生まれながらにして備わっているか、日々の精神修養によって培われるものであり、そういった「審美眼」がある人々は、こういった現象に対して「議論」や「証明」を必要としない。わざわざ証明されなくとも、「わかる」ものだから。
そしてこれは、頭脳や感情による理解を超えたハートの奥で、ひっそりと感じ取られるものだと思う。よって、聖人が起こす「奇跡現象」が科学的に証明されなくては信じられない、というもっぱら「霊的不感症」な人々は、その観点に立ち続ける限り、はじめからお呼びでないのかもしれない・・・。あ、だからサイ・ババは、繰り返し、「静寂」の大切さを説かれるのかも・・・。


閑話休題


この時期に起こった、「ご褒美」には決して見えない、一連の物質化・・・。

初めて参拝する方々は、『何度も質疑を繰り返した末、最後にやっと物質化が出てくる』やり取りを見て、「あの信者、祈った甲斐があってやっと物質化してもらえたねぇ」と思われるかもしれない。
しかし第三ブロックに座る人々が、「何かを物質化してください」、と必死で祈るとは思えない・・・そうすると、毎朝繰り返されるあの物質化の理由は何?

その謎が解けたのは、今年卒業して、本来であれば「卒業生席」に座っているはずの彼の後輩が、「在学生席」の第三ブロックに座って、切羽詰った眼差しで祈りながらサイババに手紙を出していたのを目撃した朝。

ダルシャン後、彼に電話すると、「あぁ、あの子は選考試験に落ちちゃったんだけどサイ大学の別枠の編入試験を受けて、今、判定待ちなんだよ」。
「そうだったんだ。ひょっとして、他の人たちも?最近、スワミは毎日のようにネックレスとかビブーティを物質化されてるけど・・・。」
「そうだねぇ、他の子達も同じ状況か、中には4年制の大学卒業して、修士や博士課程への進学を希望している子達もいると思う。彼らも同じく、判定待ち・・・。みんな人生がかかってるから、必死なんだよね。」

なるほど…。

毎朝毎朝、傍から見れば、手が痺れてくるんじゃないかと思うほど、微動だもせずに手紙を挟みながら合掌し、壇上に座るサイババを見つめて一心に祈り続けている生徒たち。サイババが物質化をされる前に、何度も質問をしたり、時には多少呆れながら(?)男の先生のように、生徒の頬や肩をポンポンッと叩いて頑張りなさい、というシーンの理由は、「進路指導」だったんだ…。

サイババは、サティヤサイ大学の、学長

学業的に、インドの中でもエリート校の部類に入るサティヤサイ大学の入学試験は学力重視で、他校からの編入希望者が何百人と応募する狭き門。副学長が入れ替わった今年は、昨今と判定基準が変わって、多少のサプライズもあったのかもしれない。(彼も実際、同じ理由で絶対に合格間違いなし、と太鼓判を押されていた試験に不合格となり、一年間の社会人経験を経て修士課程に再入学した。)

卒業後、プッタパルティに継続滞在してサイババの側で生活する学生、外の世界に出て行って世の中で活躍する道が用意されている学生・・・人生の岐路に立つ生徒たちを励ますために、学長であるサイ・ババは、それぞれに見合った道を一人ひとりに指導されたという。時には、空中から取り出すネックレスやビブーティといった愛ある餞別を添えながら…。

そして過去・現在・未来を掌握なさるサイババが下す判定は、サイババの神性を重々承知している生徒たちにとっては、「絶対命令」に近いらしい。

かくいう彼も、サイババの示唆によって、大きく運命が変わった生徒の一人。過去を振り返ってみると、「サイババの御教えに従わなければ、私と出会うことは絶対になかった」と断言する彼・・・。聖人の示唆が、どのように交差して人々の運命を変えていくのか・・・そのテーマについてはまた別の機会に触れてみたいと思います。


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