サイババへの手紙 〜 Part.1


私達一般参拝者が取れるサイババとの交流は、よほどのことがない限り、心の中の対話や夢の中、そして第六感を活用した交信といった、極めて主観的な方法。そして実際に身体を通して交流できる場面というのはごく限られている。


ヒマラヤ山脈のふもとで何百年も生きているような肉体意識を超越した聖者なら話は別だけど、聖地巡礼(滞在)をしたり、修行によってより深い境地に入りたいと願っている人にとっては、やっぱり心のどこかで、『スワミとの交流』を願っているものだと思う。

そしてそんな中、「手紙」というのはサイ・ババの反応を顕著に感じられるとても素晴らしい手段・・・。




色んな国の人とお話しすると、サイババに直接手紙を受け取ってもらうだけでなく、郵送するだけで、何らかの具体的な反応が返ってくると聞くことが多い。



私の知っている例を上げると、あるインド人帰依者は、長年、アシュラム内のアパートを一室購入することを希望していた。
しかし交渉相手は、『強者に丁重、弱者に粗略』という対応で有名な一癖も二癖もある名物セヴァダル…。
購入に際しての審査基準は全て満たしているのに、断固として取り合ってくれない状況が続いていた。


そんなある日、その帰依者は意を決してサイババ宛てに手紙を書き、アシュラム内の郵便局に投函した。
数日後、その手紙の主はセヴァダルから連絡を受け、「スワミに手紙を書いただろう、そのせいで部屋を充てがわないといけなくなったではないか」と問い質された。
なんでも、ある日サイババがそのセヴァダルを呼び止め、手紙の主に部屋を一室与えるよう、指示をされたらしい・・・。


なんともまぁ、心温まるお話...。 そしてこういった話は、場面を変え、国境を越えても起きている。



多くの場合、サイババの信奉者は、『人生の伴侶を決める際にはサイババの了解を得た相手と・・・』 と願っている。

そして、了解を得る為に最も一般的なのが、「結婚相手のことを綴った手紙を受け取って頂く」という方法。

「生涯に一度の、大切な選択。せっかくだから、受け取って頂いた事実をこの目で確かめ、承諾を得たという実感が欲しい」と思うのは、自然な欲求。
だけど仕事もあるし、渡航費だってすぐに用意ができるわけはない。しかも万が一、インドまで行くことが出来ても、必ずファーストラインに座れるという保証はなく、直接サイババに手紙を渡すのは困難を極める。

そういった場合には、国際郵便を出すという方法もある。

例えばある海外の帰依者は、結婚を決めた相手と共にサイババに手紙を書き、国際郵便で投函した。そして、ちょうど届いたかな?という時期に、双方の両親から承諾が降り、無事婚約成立となったという素敵なエピソードも・・・。


このように、サイババに手紙を書くというのは、今置かれている状況をサイババに伝え、何らかの反応を得られるとっても良い手段…だと思う。


そうとは知りながらも、こんな記事を書いている私自身が、過去にサイババ宛てに書いた手紙はたったの二通のみ・・・。巡礼する度に、しかも、事ある毎にサイババに手紙を書いている彼なんかを見ていると、「すごいなぁ」とは思うものの、私には、とうてい真似できない…。
在学中には、朝一通、夕方二通と、一日に何通も手紙を書いては受け取ってもらっていたという話を聞くと、「いぃなぁ〜」という嫉妬どころか、逆に、「すごい勇気だなぁ」と思う気持ちの方が、強く湧き起こる。

おそらく私の場合、「もし受け取ってもらえなければ?」 といった不安や、「サイババは全知全能なんだから、こんな瑣末な内容をいちいち書かなくても分かっていらっしゃるのでは?」 という懸念がよぎる・・・というか、本当は、愛する人(=この場合、サイババ)に拒絶されて落胆するのが怖いため、手紙を書くことに対して臆病になっているのだと思う。
あー、トラウマ体質・・・と分かっちゃいるけど、そう直ぐに修正できないのが、性格。


一般信奉者の間では、 サイババへの手紙の書き方』 について様々な流儀が語られ、『より良い書き方』 に対する憶測が飛び交っている。

少し例を挙げてみると・・・、
サイババが手紙を受け取ってくれたら願いが叶う』、 『サイババは手紙を受け取る前から内容がわかるので、叶えない願いは受け取らない』、『●● してください!と依存し過ぎる手紙は控えた方がよい』、『未来形ではなく願いが叶ったと想定して現在形の言葉で綴る』、『失礼のないように感謝を込めて書く』 ・・・などなど。

『どんな風に書くのが王道か』を知ることができれば安心だけど、そもそも、霊性において「そっちよりこっちの方が正しい」、と断言する事は決して出来ないと言われている...。 実際のところ、基本的に書き方は各自の自由で、手紙の内容は、本人の性格や、サイババに何を求めているか、そしてサイババをどう認識しているかによって千差万別なんだと思う。

だけど、巷に出回っている様々な“流儀”は、いかにも信憑性がありそうだけど、素直に鵜呑みして良いのかしら? 私は、『サイババは手紙を受け取る前から内容がわかるので、叶えない願いは受け取らない』 という噂に相反する体験をしてから、そんな疑問を抱くようになった。


というのも、過去に書いた二通の手紙の内容は、以下の通り。

一通目: 去年コダイカナルで、誕生日ダルシャンの日に書いた手紙。
二通目: 一日も早く(少なくとも今生中に)、母がサイババのダルシャンが受けられますように、という願いを綴った手紙。


一通目は、別の参拝者に託して受け取って頂き、二通目は、場所を変え、人を変え...、何度トライしても、結局、受け取って頂けなかった・・・。サイババは手紙を受け取る前から内容がわかるので、叶えない願いは受け取らない』 と思っていた私は、「あんなにスワミを想って葛藤している母が会えないなんて・・・」と、少なからず意気消沈した。


しかし、驚くなかれ。
綴った内容は、結果的に両方とも、叶えて頂いている・・・。
叶えない内容は、受け取らないハズでは・・・?

うーん、これはドユコト?


私はその疑問を、おそらく過去に何百通とスワミにお手紙を書いたであろう彼に投げかけてみた。



サイババへの手紙 〜 Part.2に続く・・・。




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