ウガディ


今日は、南インド三州の地方の新年、ウガディ
正月は一月の三が日と決まっている日本からすれば、インドの正月の多さには驚く。

特にサイババのアシュラムでは、ヒンズー教キリスト教イスラム教、ゾロアスター教、仏教といった五大宗教や各地域の祭事を平等に祝うので、一年を通してお祭りがない月はないというぐらい、本当に、祭典が多い。サイババの言葉…“すべての宗教は一つ、それは愛の宗教のみ”を反映している。

無論、愛の宗教を信奉するのに、年会費や高額な商品代を要求されることはなく、ただ、愛あるのみ。


みんなが口々に、ハッピーウガディと声を掛け合っている。
朝のダルシャンにはサイクルワントホールいっぱいに人が座り、今か今かと、スワミの登場を待っている。いつもは、9時頃にバジャンが始まり、10時頃に終わる。人々の期待に反して今日は来ないかな?と思い始めた9時50分頃、人がざわめいて姿勢を正し始めた。


サイババの登場。
側近が車いすを押して、ゆっくりと、オレンジ色のローブを着たスワミが視界に現れる。

みんなが手を合わせてスワミを見つめている。拝んでいる人、祈っている人、手紙を胸の前に持ってサイババをじっと待っている人、微笑んでいる人。周りには何人もの側近がついて一緒に移動している。

なぜか、頭痛がする。昼食をスキップして午後のダルシャンまで寝ることにした。


午後のダルシャンは、4:30頃から、サイ大学のMBAコース、大学院生、音楽大学の学生による演奏。 

演奏や祭典があると、参拝者は、スワミのロングダルシャンが受けられる。 テルグ語とヒンズー語が中心だった…と思う。長いソロが終わると、参拝者から拍手が沸き起こる。

インドのメロディーは独特のラーガがあって、私にはその良さがまだ分からない。慣れ親しんでいる七音階ではなく、その上、音楽に対するバックグラウンドがないから、感覚的に愉しむことや、知覚して納得することもなく、拍手が起こってから、へー、この歌い回しはすごいんだ、と感心するぐらい。

ごちゃごちゃ言ってないで、ハートで聞けばいいんじゃないの?
一つの声が囁く。 その通り。

不可解な音のうねりに意識を合わせようと試みながら、手探りで、音楽の世界観に浸ろうと耳を澄ます。


ソロは、ジャズのスキャットに似ているけど、似て非なり。ジャズの場合、リズムとメロディーをバックビートで刻みながら進んでいく感じだけど、マサラ音楽やバジャンの場合、ラーガというメロディーを、こぶしを回す感じで歌いあげる。神へのバクティ(信仰心)を唯一の糧として。私にはよくわからないけど、おそらく、拍手は歌い手のテクニックにではなく、声に顕れる帰依心の深さに対して送られているような気がする。


いつもは車で入退場するスワミ。今日は、行きも帰りも車いすで移動。


私は、年始めとしてアシュラム内で、唯一カトラリー(スプーン・フォーク)が置いていないサウスキャンティーンに行って手でお料理を食べようと試みたけど、結局、ポーチの中に忍ばせたスプーンを取り出していつも通りの食事。どうしても、手で食べることに抵抗を感じる私にとって、これはインドで生活する上で超えないといけない壁の一つ。他人にとってはいとも簡単に越えられる壁でも、ある人にとっては、山よりも高い試練と感じることがある。こういったこだわりを一つ一つ拭い取ることも、この旅に課された内的目的の一つだと思う。

我慢しなくても、自然と手放せるようになるまで、少し待つことにする。