コダイ ダルシャン

コダイカナルの一日は、忙しい。
ただ忙しいとはいっても、身体を動かすことではなく、じっと待つことに対して、一日の大半を費やす。


朝のダルシャンには7時過ぎから整列し始め、列のくじ引きは8時〜9時頃に行われ、スワミが出てこられるのは10時過ぎ。夕方のダルシャンには、くじ引きの時間が決まっていない為、日によって数時間に及ぶ時間差があるけど平均すると、3時30過ぎぐらい。余裕を見て2時過ぎに並び始めてスワミが出てこられるのは6時過ぎぐらい。一日が終わる頃には太陽の下で待ち疲れて、夕食後、直ぐにベッドに入る日が続く。

SAI SRUTHIという湖畔のアシュラムは、湖沿いの車道を経て山斜面の長方形の土地に広がっているから、邸宅の前に広がる横長の中庭がダルシャンホールを兼ねている。ダルシャンホールは他に、邸宅続きのマンディールがあり、夕方のダルシャンにはサイババがマンディールにこもりっきりで、中庭の帰依者の前には一度も姿を現さない日もある。

コダイカナルの整列はプッタパルティトークン順にマンディールに入って好きな場所に座れる)とは違い、トークン番号毎にダルシャンエリアを決めていく。従がって、1番のトークンを引いても後方列に座らされることがあり、逆に、最終番号を引いてしまっても、ファーストラインに座れる可能性もある。しつこいかもしれないけど、サイババのダルシャンは最高位の天界に住む神々が、その恩恵に浴することを切望したほどの幸運と云われている。待ち時間が長くって、ダルシャン席がすべて運に委ねられている状況・・・必然的に、ナーマスマラナが進む。

サイババの来訪は地元の人にとっても一番の刈入れ時。食事を摂るために街の喧騒に身をさらすと、愛しい人と引き割かれて苛められているような気がして、時折、泣けてきた。アシュラムを一歩出たら、騒々しい車のクラクションやタクシーの客引き、土産物を売り歩く売り子の声でごった返している。私はただ、神聖な愛に浸りたいだけなのになんでこんな場所にいないといけないんだろう…そういった思いが心を苦しめた。スワミが、恋しかった。

数日間か、日本人グループ席を頂いて、少しばかりのセヴァをさせて頂いたけど、それさえも、神の愛に身を置く延長線上にしたかった。愛する人たちと群れるのは別だけど、基本的に私は、徒党を組むのは性に合わない。我儘なくせに変に気を使うから、単独行動の方が楽な気がする。
なぜかわからないけど、コダイカナルにいるあいだ中、周辺の状況に意識を向ける精神的余裕が少なかった。部屋に帰ると、神聖な音に触れていたくって、ヴェーダのCDを流し続けた。パルティでは意識が散漫になるものの、コダイカナルでは、欲求の流れがナーマスマラナによって神の愛に浸ること、そして肉体的にスワミの傍に行くことだけに向かっていたような気がする。

あとから回想すると、ある程度の抑圧やストレスは精神修養にはよいのかもしれない…っと思った。快適な方がよっぽど良いけど。


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