誕生日ダルシャン

せっかくの誕生日だったけど一日中、ダルシャンで良い席が頂けるか気が気でなかった。

何故か… プラシャンティーニラヤムではバースデーラインがあるけれどコダイカナルでは特別な席を設けていないと言われていたから。

インドで学んだ鉄則その弐、言われたことを鵜呑みにしないで、納得のいく答え、もしくは、その場しのぎの返答以外のロジックの通った答えが返ってくるまで何人かに聞き続けること。勘に頼りながら...。



特別なラインをもらえなくっても、絶対にスワミが祝福してくださって良い席を与えてくれるから、大丈夫よ!っと言いながらセヴァダルに、肩をポンポンっと叩かれた。不確実性の中で信じる心を育むことは私にとってまだまだハードルが高い。

もし、誕生日席がもらえずに、マンディールの外に座らないといけない場合は、午後は一回もスワミの顔を見ることが出来ない・・・そんな誕生日なんて・・・そんなのやだ(泣)。



26日は私の誕生日。前日、余裕をもってセヴァダルが忙しくない時間帯に集合場所に行って何人かにバースデーダルシャンのことを聞き、一応、身分証明としてのパスポートを持って行ったものの、信じてくれたので必要がなかった。翌日は早めに到着して、できるだけ誕生日ということをアピールした。ハッピースマイルを添えて。人事を尽くして尽くして、天命を待つ・・・。私は公私に対し、そのモットーに沿いがち。けっこう、したたかかも・・・(冷汗)。でもここでカッコつけても仕方がない。 



26日はちょうど日曜日にあたっていたので、コダイカナルの隣接州に住む多くの信奉者達がサイババに会いにやってきていた。

今日はすごく人が多いから、ダルシャンラインに入れるだけでラッキーよ・・・。あまりにも人が多いので、アシュラムに入れずに外の駐車場や通路に座らされる人たちもいた。後日レポートによると、この日の参拝者は5000人を上まったそう。多くを求めないように諭されながらも、会う人々から祝福を受け、指示されるままま、言われるとおりに何度か移動していたら、最終的にはセヴァダルのすぐ後ろのファーストラインに辿り着いた。笑顔を保ちながらも、私は、ひたすらナーマスナマラナを続けていた。

wamy Must Really Love You・・・アンビリーヴァブルって感じで白人のセヴァダルが首を横に振りながら私に声かけた。

誕生日の前日、生まれて初めて、サイババに手紙を書いた。内容は・・・あまりにもプライベートなのでこの場では割愛させて頂く。



待望のバースデーダルシャン。スワミがスロープから降りてこられた。

一回目に通り過ぎる際には私の方は見ずに手元を見ていた。二回目のチャンス、スワミがスロープを上がって帰っていく際は、参拝者の顔を見て祝福を授けていた。目が合うかどうかは流れに任せて、首を動かしたり出過ぎたまねはやめようと決め、胸の前で合掌し、親指と人差し指の間に手紙をはさみながら静かにスワミの顔を見つめ続けた。

Take Letter? 板に付きつつある所作・・・インド式のYes(肯定)、を表すジェスチャー、首を左右に少し振りながら目で問いかけた。包み込むような優しい眼差し。スワミは、私の目をじっと見て、じぃーっと見つめて、そして、静かに通り過ぎて行った。手紙は・・・受け取られなかった。そっか、手紙の内容がだめだったのかな?それとも、封筒代りに使ったちりめん織りの高価な小物入れがだめだったのかな?

まさか手紙を書くなんて思わなかったから、封筒なんてもってきていなかった。中身だけを渡すというのもなんだか引けて、パスポートを入れに使っていたちりめん織りの小物入れに入れていた。というのも、去年仲良くなったサイ大学の卒業生の女の子にバースデーダルシャンのことを聞いたら、絶対カードか手紙を書いた方がいい!って強く薦められて急きょ書く気になったから、何の用意もしていなかった。



その日、泊まっているコテージを変えようと、歩きながら物件を飛び入りで探していると、偶然、サイババの昼食の外出と重なった。
コテージを変えるに至った理由は、換気。到着から数日間は、湿気がすごく、壁に黒カビが帯びている部屋に泊まっていた。朝乾かしておいた衣服やタオルは湿り、袋を開けたクッキーはダルシャンから戻ると湿ってしっとりしている。。。クオリティを追求するのはお手上げ中・・・そんなものかと思いながらその様子を知り合いに伝えると、身体に悪いからすぐ移った方が良い!と云われ、誕生日には半日、部屋探しと称してコダイカナルのコテージを飛び入りで訪ねていた。

一回目は一体どの車に乗っているのか分からずにいたから、後ろ姿しか見えなかった。でも、見れただけでも嬉しかった。やっぱ、誕生日は一年のうちで最も神の祝福が降りているって言われているだけある、と思いながら家に帰り、もう一度外出すると、警護の車が見えた。サイババだ。今度は、安全地帯沿いの側道―周囲に誰もいない場所―で、カーブを曲がろうと徐行する車を目で追いながら手を合わせて立ち止まった。

誰に呼ばれているかを探し当てるように忙しく首を左右に動かされていたスワミ。

こみ上げる喜びで満円の笑みを浮かべながら私は、胸の前で手を合わせてスワミが私に気付かれるのを静かに待った。

ゆっくりと移動する車の中で、きょろきょろと動かしていた視線を、私の上で留め、びっくりしたように大きく目を見開いて凝視された。なぜあんなに驚かれていたのだろう? 無心で手を合わせてたと思ってたけど、よっぽどスワミの名前を呼んでいたのかしら?スワミと視線を交わすときはすべてがスローモーションのように感じる。それなのに、まるで時間の概念から切り離されたような感覚−その瞬間が永遠に続くような、深い印象が残る。しばらくの間、私はその至福を味わった。



午後ダルシャン。

お誕生日席は用意していないと言われていたものの、偶然、列の最先頭に座っていた私をセヴァダルが見つけて、パーミッションラインに入れてくれた。なんて成り行き・・・私が後方席に座っていたら、セヴァダルの目に留まることもなく、さびしいバースデーダルシャンになっていたかもしれない。もうこれ以上望むことはない。マンディールの中でスワミに感謝をささげた。

何人かがファーストラインのインド人の女性に手紙を託した。そして私も、午前中に受け取って頂けなかった手紙を託した。スワミがダルシャンホールの後ろまで通らないと受け取って頂く機会が無いんだ・・・少し残念に思ったけど、その可能性もありだし、感傷的になっても仕方がない。

午後ダルシャンではサイババが語ったとおりに脚本を書いたというシルディサイの弾き語りが上演された。言葉が分からなかった私は、スワミの反応を一点に見続けた。 目が、シヴァっぽかったのが印象的だった。劇の終了後、バジャンに移ってアルティが終わり、いつもの流れで、そのまま部屋に戻ると思っていたら、バジャン中に、マンディールの後列まで巡回された。

スワミが私たちの手紙を受け取ってもらえたか、聞いて! 一緒に手紙を託したインド人の御婆ちゃんに小突かれたけど、そんなこと、こわくて聞くことができなかった。アルティ終了後、もう一度聞かれると思って、少しの間、目をつむってから席を立とうとすると、さっきの御婆ちゃんが、スワミは私たちの手紙を受け取られたわよ!っと満足げに教えてくれた。

嬉しかった。私が今までの思いを綴った手紙だった。思わずその場に座り込み、心からのお礼を捧げた。



今日配られたプラサード。



スワミに捧げた手紙の答えが印刷されていた(。。。驚)。

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