サイ大学の卒業式

毎年、スワミの誕生日の前日にあたる22日は、サイババが学長を務めるシュリ・サティヤ・サイ大学(院)3校の卒業式が執り行われ、、プッタパルティにあるプラシャーンティニラヤムキャンパス、ホワイトフィールドのブリンダーヴァンキャンパス、そして女子大、アナンタプールキャンパスの生徒たちが俗世へと旅立っていく。

ちなみに、卒業式は、米語の「Graduation」ではなく英語で集会、英国国教会の聖職者会議を意味する「Convocation」という言葉が使われいていた。アメリカ英語が基本の私は、普段は意識しないものの、こういったときにインドはイギリス英語なんだなぁとちょっと感心する。通常、卒業式の夜に上演されるサイ大学卒業記念劇が、今年は前日の夕方に変更となっていた。


卒業ドラマは基本的に生徒が中心となって進行するものの、役者や劇中の曲目に至る演出の最終判断は学長であるスワミ御自身が監督。聞くところによると、上演二日前の最終リハーサルで、テルグ語で用意していた全曲目が、英語へと差し替えになったらしい。スワミに捧げる思いで一心に準備していた生徒たちに、スワミが諭したそうな。。。今回(卒業式)の主賓は、アメリカ人精神科医サミュエル・サンドワイス医学博士。主賓に愉しんで頂けるよう、私の母国語ではなく博士の母国語である英語の楽曲に差し変えなさい・・・。


卒業式の終了際、側近に抱えられながら車いすから立ち上がり、しばらくの間、退席する来賓客と話を交わしていたスワミ。車いす姿しか見たことがなかった知人が、「サイババが立ち上がっていたことの意味は何だったの?」と疑問を投げかけた。「サイババは神」という思いのフィルターを通して凝視すると、スワミの言動すべてに、何か神秘的で謎めいた...人間離れした深意が潜んでいるのでは? と深読みしてしまうのは無理のないことだと思う。それに対してスワミの学生が笑顔でこのように答えた。「スワミの行動はいかなる時にも私たち(人類)に対して模範を示している。人間のレベルでいうと、かなりの激痛が走るんだと思うけど、スワミはこの学校の学長として来賓に敬意を示すために立ちあがって見送り、贈り物を手渡していたんだよ」。


去年は後ろの方から卒業式を傍観していた私も、今年は親族としてペアレンツ席に参列。ブログをお休みしていた間に神のリーラに包まれた紆余曲折・・・というよりも、ただひたすら二つの要因・・・ジョーティッシュ占星術氏たちの薦めとスワミからの祝福、のみによって、私は、手をつないだこともない友人の一人であるサイ大学院の卒業生と結婚することになった。そして、心が状況の展開に追いつかないまま、ある占星術氏の予言通り、10月中に結婚するに至った。正直、今でも狐につままれたような気がしているけれど、結婚に関してはまた近々ブログでお伝えしたいと思います。


ちなみに、今年のサイババ卒業式御講話の邦題は、『善であれ、善をなせ、善を見よ』。ところどころ思い当たる節もあり、時間を置いて何度か繰り返して読みなおしています。

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