外国人女性との結婚


ヒンドゥー暦の新年、ウガディ (Yugadi・Ugadi) を祝う日に、私達夫婦は結婚5ヶ月目を迎えた。
インドの生活に慣れていないことは沢山あるけれど、いまだに掌握しきれていないのが、夫以外の男性との距離の取り方、いわゆる、「男女のダルマ(規律)」と言われているもの。
インドにおける男女のダルマDharma)は、西洋文化に影響されている国々(日本を含む)の常識や社会通念は、はっきり言って、ほとんど、通用しない...と思う。インドで生活なさっているインド人妻の方々は、一体どんな感じで順応なさっているのか、お聞きしてみたいぐらい…。


結婚後、彼はごく親しい級友や教授陣に、両家家族や婚礼写真の画像を添付し、日本人女性と結婚した旨をメール報告した。その一ヶ月後、プッタパルティに行った時には、サイ大学の全生徒や学生と親交のある帰依者全員が知っていたぐらい、村中のニュースになっていたらしい。実際、彼のところにも「あの噂は本当!?」と、インド各地に住んでいる知人から何本か電話がかかってきていた。


何故か?
外国人と結婚するのは、それほど珍しいから、である。


卒業後、ブリンダーヴァン校で先生をしている彼の友人が、親愛を込めて私達にお祝いの言葉をくれた。「外国人と結婚するなんて、スワミの祝福がなければ絶対に、できないよ。ほんと、おめでとう。 きっと、スワミが護ってくださるから、絶対に大丈夫。」 笑顔と共に贈られた祝辞を聞きながら、何故そこまで念を押すように、まるで勇気づけるように祝ってくれるのか、不思議な感覚さえ覚えた。

東京で外資系の会社に勤務していると、国際結婚はごく身近に感じる。それこそ噂の的になることはなく、「あ、そう。よかったわね、コングラチュレーション!」それで、終わり。西洋人と日本人というカップルが多いなか、東洋人男性と結婚する日本人が増えているのに新鮮さを感じるぐらい。しかし、ここは南インドの田舎。


親同士が家庭のカーストやバックグラウンド、代々信仰する主神、父親の職業、花嫁が用意するダウリー(持参金)の額を調べ、時には新聞広告に縁組募集を掲載してホロスコープの相性が良ければ、そこでやっと成立する「見合い結婚」が主流の土地で、インド人が外国人と結婚するなんて、ほとんど、ありえなりらしい。そして、心から彼を慕っている人ほど、そういった心配を口にする。


ある時、頼み物を手渡された時、後輩から聞かれたらしい。「先輩だったら誰とでも結婚できたはずなのに、選りに選ってなんで外国人と結婚したの?」何の悪意もない、素朴な疑問。


ある日、彼が十代の下級生に私を紹介すると、クスクスッと笑いながら、日本語の名前を復唱しようと目の前で試みた。発音もできないヘンテコな名前。海外の田舎に長期滞在したことがある私は、こういった対応に慣れっこ。「子どもだもんねー。初めて聞く外国語だよね〜」、と思いながらニコニコ笑顔でいると、隣にいる彼の顔色が少し濁ったのを感じた。名前は、記号。外国人と接したことがない純朴な人々は、外国の発音に慣れていない。それをきっかけに、彼は和名とヒンディー名を組み合わせて紹介するようになった。


また、彼が勉強を教えていた下級生の御両親に挨拶した時には、結婚の噂を聞いたお母様(地元の学校の先生)が、少し離れて彼を待っている私を上から下まで一瞥し、一言こう言った。「あなたのお母さんが許したのであれば、祝福するわ。そうでなければ私は、この結婚を認めないから」。あのぅ・・・聞こえてるんですけど...(微笑)。


ジャパンバッシングの最盛期に米国に長期滞在された方なら共感頂けると思うけど、たわいもない偏見や憶測には、ある意味、免疫が付いている。根拠のない悪意を向けられた場合は、稚拙な邪心を黙殺し、笑顔で大人の対応をするのが一番だと思っている。 ま、たまぁーに、負の感情を煽って火に油を注ぎ兼ねないけど...(苦笑)。

そうだよね〜。噂レベルでしか知らなかったらそうなっちゃうよねー、と軽く受け止めながらも、疑問は残る。チェンナイに借りたアパートも、私が外国人ということで、高めの家賃を払ってまで、わざわざセキュリティーがしっかりしている物件を選んだ。

そこで、「何故外国人だとそんなに特別視されるの?」と彼に聞いてみた。そうすると彼は、言い難くそうに、こう答えた。


インド人(ヒンドゥー教徒)が抱く外国人に対する「印象」は、あまり良いものではなく、多くの人達は心の中で(本音として)、外国人がインド文化に順応できるわけがない、と思っている。その上、男女構わず親しく話をする外国人女性は、馴れ馴れし過ぎて「Uncultured(文化も教養もない)」という印象さえ抱いているらしい。中には、外国人女性の笑顔やフランクさが誤解を呼び、犯罪に至ることもある。彼自身、日本に滞在していた知人から「日本人の美徳や勤勉さ」を聞かされるまでは、日本人を含む外国人に対して良い印象は持っていなかったそう。

「しかるべき女性の振る舞い」を一つ一つ聞いているとかなり封建的で非効率...に聞こえるけれど、郷に入れば郷に従え・・・の通り、インド人の妻となった今、その国の流儀を守らなければ間接的に彼の顔に泥を塗ることになる。


サティヤサイ大学の寮生は、極力、外部の労働者に頼らずに多くの作業を「セヴァ(奉仕)」という形で自給自足している。在学中彼は、銀行部、出版部、キッチン管理部にマンディールのプラサード配布といった多部門の奉仕活動に従事していたことや、時間があれば下級生に勉強を教えていたこともあって、「こんな年下まで知り合い!?」と驚くほど、顔見知りが多い。そして、プッタパルティに巡礼する度に、新たな知り合いに紹介される。

みんな、「外国人の嫁」というものがどういうものなのか(秘かに)興味津々の様子。ダルシャン終了後の待ち合わせ場所、ガネ―シャゲートの前で、彼の友人が、バビー(Bhabi:親族や親友のお嫁さんを指す)を紹介して、と立ち話をしながら、待っている。
そして私は、一体どうやったら「よき嫁として」立ち振る舞いができるのか、毎回、悩む。

親しみの意味を込めて笑顔を振りまいてもいけないし、話しすぎてもいけない。相手の目を直視したらいいのか、逸らした方が良いのか。何かを聞かれた場合、そのまま男性に返答してもいいのか、それとも彼を介して囁くように話した方がよいのか、また、教授や目上の方とお会いする時は、彼に倣ってSirという言葉で対応した方が良いのか、それとも無表情のままでいる方が文化的なのか・・・。未知なる文化への疑問は尽きない。

一度、つい最近米国留学から帰国なさった教授に御挨拶した際、(私も米国に留学していた事を知り米国の礼儀として)、握手を求められたので、反射で即、握手をして挨拶を交わした。そして帰り際、彼から「インドでそれは、やっちゃいけない」、と教わった。「Cultured Woman (文化的で教養のある女性)」は、男性から握手を求められても、サイラム、もしくはナマステ、と笑顔を返して、男性と肌が触れるのを避けなければならない、とのこと。...挨拶の握手で、教養(節操)無しですか...うーん、ガイドブックがあったら今すぐ買って読みたいぐらい。

とにかくインドでは、「Cultured Woman (文化的で教養のある女性)」という言葉を頻繁に聞く。これは、古き良き封建を守るインド人にとって、外国人に対しての、最高のほめ言葉の一つだと思う。しかしこの文化を学ぶのは、ハードルが高い。何故か?私が外に出てインド人女性と交流しないからである。

それにしても、事前に情報をもらって一難を回避するのと、間違いが起こってからダメだしされるのとでは、心理的に前者の方が断然、楽。
行動の指針を示すガイドブックは無いの?と聞いたら、シヴァ・マハープラーナShiva Purana もしくはShivpuran)の一章に、現生の行いがあの世に行った時、如何に裁かれるかが載っているから、それを読んだらいいよ、という答えが返ってきた。

・・・、ハウツー本じゃなくって、太古の聖典なのね...。 さすが、インド人。 在学中、寮の図書館で借りて読んでいたらしい。

そこで、もう少し分かりやすい項目をリストアップして教えて、と聞くと、数日後、「最愛の妻へ」という標題付きの簡単なメールをくれた。
インド人と接する機会がない方への参考になるかはわかりませんが、次回は、「インド的・異性との距離の取り方」について教わったことを紹介したいと思います。



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