プレマバンダム − 愛の絆 渡航編

「やっぱり今回は何と言われようとも、絶対に娘を連れて渡印しよう!」

プレマバンダムに参加する旨を告げると、もう既に心が決まってることを察したのか、「小児科の先生の意見をスワミの声としよう」という妥協案を出してくれた母。

彼にそれを告げると、「コングラチュレーション!」とひと声。
「なんで? まだ決まったわけじゃないよ。」 と言うと、
「お医者さんがNOって言うわけないよ。早速、旅の準備を始めてね!」という彼。


でも、さすがに親の面目もつぶせないので、一応・・・お医者さんに聞くまでは穏便にしておいた。


そして小児科の先生の診断は・・・

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私:  「インドに戻るのですが、生後三か月の乳児を飛行機に乗せてもいいものなのでしょうか?」
医師:  「大丈夫でしょう。問題があったら飛行機会社がなんか対処してるはず。」
私:  「あのぅ、気圧の違いで、発育に支障が出たりしないんでしょうか?」
医師:  「あー、あれ、あんまり関係ないみたいやね。」
私:  「え!? あ、あの・・・、父の知人が以前、子どもを乳児期に飛行機に乗せて鼓膜が破れ、それ以降耳が聞こえなくなったって言うのですが・・・。」
医師:  「鼓膜なんて破れたらまた新しいのができるからね。」
私:  「え? じゃあ、問題ないんですか?」

医師:  「問題ないよ。行かないといけないんでしょう? 行ってきなさい。」
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え・・・? あまりにもあっさりとOKが出たので、拍子抜けした。
早速、渡印の準備をしなければ・・・! 
飛行機の予約におむつやベビーカーの購入、そして持って行く夏服の洗濯・・・。渡印前ってなんでいつもこうなるんだろう?毎回急に決まって、バタバタと準備してる気がする…。そうこうしているうちに、結局母も同行することになり、無事、機上の人となった私達。


ちなみにシンガポール航空の場合、乳児用のチケットは8千円で、バシネットを使用する場合は、10キロ分のおむつや離乳食が入った手荷物を追加で預けることができる。

初めての乳児連れ渡航だったけど、広い空港の中、飛行機の搭乗口までベビーカーを利用できるうえに、各空港に到着すると、アシスタントスタッフが待機していて誘導してくれるし、実に快適安心。

一番気になっていた飛行機の離陸も、ミルクを飲ませていたから特に問題なし。
飛行機の中ではバシネットですやすや寝ていたし、「取り越し苦労ってのはこういうことだわ・・・」というのが感想。


バンガロールに到着すると、薔薇の花束を抱えて彼が待っていた。妊娠が分かった前回は、ぬいぐるみまで買って待ってたから、他に何か持ってないか確認して、花束だけだったのでホッとした。

予約したのは、トヨタイノーバ
いつもはタタ・モーターズ社のインディゴを予約するけれど、今回はやたらと荷物が多いしサスペンションが効いているものを・・・ということで、タクシー会社によると、イノーバがベストとのこと・・・。
同じサイズでも、タタ社のスモーがあるけれど、赤ちゃんを乗せるにはツライらしい。

ちなみにインディゴ(4人乗り)は1600ルピー、スモー(6人乗り)は2000ルピー、イノーバは3500ルピー(今回は常連客ということで2800にしてくれた)。【注:ドライバーも人数に入るので、実際に乗れるお客さんは定員マイナス1人。今回は、イノーバの後部2席を荷台に使ったので、4人乗り仕様で利用しました。】
そうして深夜、プッタパルティに到着。

車に乗る前は、舗装されたナショナルハイウェイから右折した後の砂のデコボコ道(約1時間半)によって赤ちゃんに「揺さぶられ症候群」が起こらないか心配だった私。
だけど実際に行ってみると、半年前までは座席で軽くジャンプする程のデコボコ道が無くなっている!

「なんか道、きれいになったねー」と彼に言うと、去年のサイババ降誕祭に、現職の首相や大物政治家、各界の実力者がプッタパルティに来訪するので、それに備えて何十キロも続く道路が整備されたそう・・・。 理由は、VIPからクレームが入ったら担当者の首が飛ぶため・・・(!)
権力者のためならすぐ動く政府って、インドっぽいなぁ。 ま、今回は私達一般人もそれに恩恵を受けてるから有り難いんだけど・・・。



プレマバンダムの前日にあたる金曜に登録を済ませた私達は、早速サリーに着替えて午後ダルシャンに向かった。


久しぶりのサイクルワントホール。

マンディールに腰を下ろしてバジャンを聞き、息を吸っているだけで、何とも言えない、とろりとした甘いまどろみが、体内に入ってくる。
その神聖さに軽く酔いながら、「なぜ一体私は、ココから離れることを模索していたのだろう?」という思いに立ちかえった。


「ここは、天国だ。」


スワミとの同窓会、プレマバンダムは、週末の二日間だけ開催される。
一応、スケジュールも組まれていて、モーニングダルシャン後のミーティングが唯一の全体ミーティング。そしてそこで、歌の練習や情報伝達を行う。

今回のスワミ入場時のヴェーダは、プルシャスークタムで、用意されたデヴォーショナルソングは、合計八曲。そしてダルシャン当日に練習したのは、そのうちの四曲で、実際にスワミの前で歌うことができたのは、スワミが作詞作曲された「Indre Shubha Diname(今日は聖なる日)」と、「Madhura Mohana Ghana Shyama(灰色の肌をした甘く魅惑的なお方」の、二曲のみ・・・。
おそらく、スワミの体調が思わしくないと事前に連絡が入っていたので、曲を少なめに用意して各曲の完成度を高めたのだと思う・・・。

ちなみに今回の、プレマバンダムのスケジュールはざっとこんな感じ...

時間 スケジュール
4.45 AM スップラバータム 朝の礼拝
6:00 AM ナガラサンキールタン
7.00 AM 朝食 
8:00 AM  モーニングダルシャン & バジャン
10:30 AM  ミーティング: (土)歌の練習 (日)スワミからのメッセージ ・ 参加者の体験談 ・ 奉仕活動の案内
12:30 PM  ランチ
3:30 PM  アフタヌーンダルシャン & バジャン
7:00 PM  ディナー


土曜日の午後にはハイデラバードで働いている弟さんと、延々44時間かけてパンジャーブ州から列車(インド鉄道)で到着した彼の両親とのご対面。
サスジ(義父)と弟さんとは英語で話が通じるけれど、ヒンディー語パンジャブ語だけを話すサスマ(義母)とは、英語⇔ヒンディー語の通訳を介してのみ、会話が成立する。
通訳がいない間、義母との会話は笑顔とジェスチャーのみ。さすがに失言の心配は無いけれど、結構、ハードルが高い。


アフタヌーンダルシャン前に、私、義母、母の順番で関係者席に座って待っていると、ヒンディー語を話せるというAPガール(サイ大学のアナンタプール女子校生の通称)を介して会話がなされた。

義母から私に伝達すべきメッセージは、三つ。 

一つは、カタコトでもヒンディー語を習って会話できるようになること。二つ目は、必ずバングルを両腕に付けること。そして三つ目は、娘の受験勉強について。


「あなたは、娘さんをコンベントに入れたいの?」 APガールの奥さんが私に聞いた。
「コンベント!? コンベントって何のこと?」修道院っていったい何のことだろうと思い質問した。
「コンベント、プライマリースクールのことよ。」

へー、サイスクールはコンベントなんだ。 多くのサイババの帰依者にとって、サイババが学長を務めるプライマリースクール、セカンダリースクールサイ大学は、ある種の憧れと共にブランドイメージがある。でも、実際は、修道院。 言い得て妙だなぁと感心し、少しの間、「コンベント」という言葉の感覚を味わった。

そうこうしているうちに列ごとのトークン(くじ引き)が始まり、いよいよプールナチャンドラホールに入場する時間に・・・。


プレマバンダム − 愛の絆 本編に続く



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