勝利の10日目 ‐ ヴィジャヤ・ダシャミー


九日間続いたナヴァラートリー(九つの夜)も、ヴィジャヤ・ダシャミー(勝利の十日目)を迎えた昨日、盛大に終了しました。ナヴァラートリー最終日の前日、八日目は、アユーダ・プージャがあり、マンションの一階に停まっていた車にはガーランドが飾られ、ターメリックやサンダルウッド(白檀)で描かれた面白い(?)模様がほどこされていました。

アユーダ・プージャー(武器礼拝)は、南インドの習慣で、人々が生活の糧を得るために使用する武器(道具)を礼拝する儀式です。

(当初私は、この儀式を「武器奉納」と思っていましたが、正しくは、「武器礼拝」だそうです。これは、武器を“神様に捧げる”のではなく、“神様として祀って”武器の中の神様に礼拝する儀式。地方によって儀式の日が異なり、プッタパルティでは八日目に執り行われます。)


前夜にあたる七日目の夜には、武器に値する道具(例えば、オートリキシャーの運転手なら、リキシャー、農家なら農耕具、料理人なら調理道具、エンジニアならコンピューター、ビルのオーナーは、建物の入り口など)を飾り付けて、祭壇の前に祀ります。

敬虔なインド人は、こういったお祭りのときだけではなく、何かを始める前には必ず神様にお祈りを捧げ、「神と共に在る」という意識がごく普通に浸透しているように思えます。日常的に使用する道具の中に「神性」を見出すことができれば、日々の「作業」を、神への「礼拝」へと昇華することができます。そして、道具に神性を見出すことができれば、常に神を想いながら、日々を過ごすことができると言われています。


サイババは、「お祭りの内なる意味」の講話にて、お祭りは、『バーラタ人(神を愛する者の意味)が、アヴァターたちの誕生日や、悪魔の勢力を滅ぼしたことを祝ってきた』、と語っています。
また、アーユーダプージャに関しては、次のような言葉を残されました。


『 この国の人々はすべてに神が内在していることを知っています。トラックの運転手はハンドルに合掌し、陶工はろくろに頭を下げ、詩人はペンを拝み、音楽家は演奏を始める前にハーモニウムに内在する神に祈ります。


神への祈りと服従を示す動作をすることなしに仕事にとりかかる人はだれもいません。
これは、霊的な考え方が自賛という世俗的な考え方に優先することを意味しています。
インド人の考え方の内的意味は、異なる文化をもつ人々の体験の域を超えています。


彼らは木や石、鳥や獣、山や川を神と信じて崇拝するインド人を嘲笑します。しかし、ヒンドゥー教徒は、石の中にも神がいると信じて石に内在する神を崇めはしますが、石そのものを完全なる神として崇めているわけではないのです。


ウパニシャッドは人類にこう宣言しています。

イシャーヴァースヤム イダム サルヴァム
これらはすべて神である


鳥、獣、蛇、鷲、菩提樹、トゥルスィーの苗すらも神なのです。神の遍在は、神の唯一性を意味しています。ナヴァラートリー祭の最終日の前日は、アーユダプージャー(武器の礼拝)という名の儀式が捧げられます。
礼拝されるべき武器とは、人間の中の神聖な力です。このようにして神が礼拝されるとき、人は霊的進歩を遂げるはずです。 』
出典: 『バジャン 神への讃歌』 P.264 ・1994年10月14日の御講話


プッタパルティヴィジャヤ・ダシャミーは、朝の9:30から始まるプールナフティ(完全奉納)でクライマックスを迎えました。そして献火終了後にはバジャンが始まり、その間、プージャーで捧げた聖水をプラサーダムとして参拝者にかける、水の儀式(Prokshanam)がありました。


ところで、サティヤ・サイ・アヴァターのマハーサマディは、2011年の復活祭の日、4月24日でしたが、シルディ・サイ・アヴァターでは、1918年のヴィジャヤ・ダシャミーの日(10月15日)を、お選びになりました。太陰暦でいうと、この日は、マハーサマディーの日でもあるんですねぇ。



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