東北地方太平洋沖地震 − その2 


内なる歓喜、すなわち、あなた方が周囲に放射する愛が重要なのです。
単なる同情や哀れみは、なんの役にもたちません。
それらは、知性によって統制されなければなりません。
悲しむ人を元気づけ、道に迷った人を慰めなさい。
他人の欠点には目を閉じる一方で、
自分の欠点を見つけ出すために目を開けておきなさい。
これらは、皆難しい仕事です。
続けて実践することによってのみ、
あなたは完全になることが出来るのです。 〜 『セヴァ 真のボランティア』 巻頭 


つい先日、震災直後からずっと現地で奉仕を続けてきた友人から、セヴァの話を聞く機会を得ました。
震災から七カ月たった今では、避難所が閉鎖され、ほとんどの方が、仮設住宅に移動されたそうです。しかし、これで、終わったわけではありません。身内を亡くし、様々なものを失った方々が負った心の傷は、半年どころで癒えはしない・・・というのが実情なのかもしれません。



震災直後は、ライフラインが完全に遮断されたため、周りで何が起こったか、全く判らない状態が三日ほど続いたそうです。そして電気が通り、テレビを付けてみたら、海も街も凄いことになっていることを知り、それから、セヴァの日々が始まったそうです。
先ず、自衛隊の方たちの機動力によってあっという間に崩壊した幹線道路が復旧し、そのおかげで、セヴァに繰り出すことができました。そのあとは、一日おきに車を運転して避難所を回り、必要な物を聞き出し、メモにとって救援物資を送る、という日々が続いたそうです。
SSOJでは、『東北震災救援セヴァ』の一環として全国の方々に対して寄付金を呼びかけ、集まったお金で必要な物資を集めて被災地へと送ったほか、全国に住む有志が、被災地へと向かい、人手が足りていないセヴァに加わったそうです。
日本には、サイセンターと携わりのないサイババの帰依者がたくさんいらっしゃいます。そういった方々の中には、自宅が津波で流されたにも関わらず司法書士という技能を生かし、無料相談所に集まって来た人々に対して、不動産登記に関するアドバイスを提供したり、体調不良の方にホメオパシーを処方する、といった方もいらっしゃったそうです。


「セヴァをしていて、一番つらかったことは何ですか?」
私は彼に、聞いてみました。 そうすると彼は、こう答えました。


「被災された方々の悲しみに触れる時です。この前、87歳のおばあちゃんと話したんです。津波のショックで、半年たった今でもまだ、夜眠れないから、精神安定剤を飲んで寝るそうなんです。想像してみてください。87歳の、高齢のおばあちゃんが、精神安定剤を飲まなきゃ眠れないんですよ!こんなことってあるでしょうか?」

そして彼は、こう続けました。

「現地の人とお話していると、泣かれるんですよね。子どもを亡くした親御さんは、話しながら、泣くんです。なんであの時に、手を離したのか、なぜ自分は助かって子どもはなくなったんだろうと・・・。ずっと、あの時のことを悔やんで、行き所のない悲しみを抱え続けているんです。頑張ろうとか、頑張ってくださいなんて、言えなかったです。ただただ、聞くだけでした。今でも、そんなことは、言えません。」


東北地方 震災セヴァ - Tohoku Japan Earthquake Seva - 2011 from Sai Laksmi on Vimeo.


サイセヴァとして私たちが出来ることは、被災された方の話を聞き、心の中で、神の御名を唱えながら祈りを捧げることなのかもしれません。「どうか、神様の愛で、この方が癒されますように」・・・、と。



次に私は、こう聞いてみました。
「今までセヴァをした中で一番良かったと思ったのは、どんな時でしたか?」

「奉仕ができるということだけで素晴らしかったので、一番良かったセヴァ、というのは正直、思い浮かびません。全部、良かったです。毎回、奉仕をする機会を与えてくれたのをスワミに感謝して、セヴァを捧げていました。」

普段、こういった言葉は会話の中で常套句として使われることが多く、何の感動も呼び起こさないことが多いのですが、彼の口から出てきた言葉は、まぎれもなく本物でした。そしてハートの奥から発された、まっすぐなその言霊が、私の心を打ちました。

彼は続けました。

「あの・・・12月にプッタパルティに行った時、僕は、「ナーラーヤナセヴァをしたい」と、スワミに手紙を書いたんです。そうしたらスワミに手紙を受け取って頂き、その時、「思う存分しなさい」と言われた気がしたんです。」

そういう彼は、今のセヴァの役割を、「きっかけ作り」と語ってくれました。

「震災後に建設された仮設住宅にはコミュニティーが無かったんです。それに加えて、ボランティアと称して火事場泥棒する事件が相次いでいたため、いきなり訪問しても、炊き出しの許可さえ下りないというのが現状でした。
これは全てスワミのお導きだと思うのですが、僕たちは公式なセヴァとは別に、個人的に、日頃から避難所に足を運んでいたため、被災者の方が仮設に移動した後も僕たちの顔を覚えていてくださって、知らぬうちに信頼関係を築くことができていたんだと思います。

一つのセヴァが、全く予期せぬところで次につながる、ということもよくありました。
例えば、物資を配給した先で、おじいちゃんにそうめんが食べたいと言われ、次に、盆踊り大会をしたいらしいという話が入ってきたり・・・と、炊き出し以外でも、色んなセヴァに対してスワミが、私たちに道を開いてくださったのだと思います。

この夏に、盆踊り大会が行われたのですが、それまで、仮設住宅に移り住んだ人と地元の人との間でコミュニケーションは殆どありませんでした。
例えば、ゴミ出しの日を決めたり、近所付き合いといったことも皆無で、お互いにどう接して良いか困惑している状態でした。そんな中、盆踊りの際に、被災者と地域住民、そして僕たちで実行委員を作ったのですが、その時の実行委員がそのまま自治体に移行して現在、稼働しています。
こんな感じで、今後も僕たちは、コミュニケーションの橋渡しになって、潤滑油になるセヴァを何か提供出来ればいいなぁと思います。最近思うのですが、「セヴァを捧げたい」って強い意思があれば、コネクションとか全く関係なしに、それ以上の素晴らしいものがやって来るんだな、と思いました。

今度、収穫祭があるのですが、地元で採れたお米でおにぎりを作り、地場産の野菜で野菜汁を作ってみんなで食べるんです。それに、東京の方が色々と動いてくださって、インド舞踊の有名な方もいらっしゃるんです!」


開催日時: 
10月30日  11:00 − 14:00
場所: 
宮城県東松島市川下字内響地内 
(三陸縦貫自動車道鳴瀬奥松島IC隣接)
最寄駅は、仙石線松島駅で、そこからタクシーです。

催し物: 
食事提供(おにぎり、秋の味覚汁、デザート)・ お茶っこカフェコーナー・地産野菜の直売コーナー ・インド舞踊



なお、東北震災救援セヴァは、この秋祭りを以って一旦終了となるそうです。

震災直後から地道に続けてきたセヴァが終了することに対して感想を聞くと、彼から、こんな答えが返ってきました。


「あの・・・実を言うと僕、ワクワクしているんです。今回、破壊が起こったので、あとは、創造しかありません。だからこれから、一体何が起こるか、正直、ワクワクしています。
今までは、食事を提供していました。これからは、仮設住宅の子どもたちに、道徳教育、紙芝居なんかもできるし、クッキーを焼いて持って行ったり、お正月に餅つきをしたり・・・と、一人暮らしのおじいちゃんやおばあちゃんとのコミュニケーションを取り続けて行くこともできます。
今後、SSOJからの応援はありませんが、一有志としてセヴァはできるので、色んなことがしたいなぁと思っています。だから、僕たちにとっては、今後もセヴァはなくなりません!」

なんとも清々しい、その言葉を最後に、電話を終えました。そして私は、このようなサットサングに出会えたことをスワミに感謝しました。


スワミは、若者に対して、『奉仕する姿勢−Seva Bhava 』 を培いなさいと仰いますが、今回のようなことがあると、本当に、その大切さを痛感します。
私見ではありますが、奉仕を続けて行くと、どうしても個人の力では越えられない壁にぶつかり、自分の中に、絶対的な行為者意識が根付いていることに気が付きます。行為者意識を克服すると祈りが強まります。そして、身の丈を決めるのは、私たち人間ではなく、神様ご自身が決めてくださることを知るに至ります。そうすると、感謝と共に愛が広がり、責任の所在を恐れて拡大より縮小(現状維持)を選択するという悪循環から脱することが出来るのに・・・と思ったりもするのですが、これはやはり、何に焦点を合わせているのかで大きく変わってくるのかもしれません。

私自身、礼節をわきまえながらも大切なことを見失わないように細心の注意を払わないといけないと思うのですが、霊性という衣を羽織った「組織」という世俗に帰依し、その中の複雑な人間関係に対して「召し使い」となるのか、もしくは、スワミの「御教え」という神の「真髄」に帰依し、万物に遍満するスワミに対する「手足道具」となるのかによって、物事に対するアプローチが全く変わってくるように思えます。


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必要としている人に真心を込めて何らかの奉仕をし、
結果として生じる至福を体験しなさい。
大きな奉仕である必要はありません。
小さく、他の人に気づかれないようなものでさえ構いません。 〜 『サイセヴァ』 p44



奉仕の目的は利己心を抑制することです。
利己的な人は決して奉仕できませんが、
真の召し使いに利己心はありません。
そのような態度で奉仕に取り組みなさい。

 〜 『1995年夏期講習 シュリーマドバーガヴァタム』 p118



もう一つ忘れてはならない点があります。
それは、結果を気にかけないことです。
できるだけのことをして、
できる限り手際よく、静かに、愛を込めて人を助けなさい。
それ以外のことは、
奉仕のチャンスを与えてくださった神様にお任せしなさい。

 〜 『セヴァ 真のボランティア』 p76  サティヤ・サイ・ババ 




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