サイババのダルシャン 2


前回のブログで、サイババが肉体を去られてからも、何度か、「あ、今日はスワミが来ていらっしゃるな・・・」と感じる日があることを書きましたが、


ここからは個人的な話です。


ダルシャンが終わり、久しぶりに甘いまどろみに酔った後、いつものように、スワミのご邸宅の前を通り、アシュラム内のガーヤトリーテンプルへと向かっていた時のことです。


スワミのご邸宅の塀の周りには、地上に降臨された至高神にお供して降り立った8つの(八方位を守護する)神々を祀る黒い神像が点在しています。

この通り道、ダルシャン前後の時間は女性専用通路になっていて、参拝者の中には、スワミがいらっしゃったお部屋に向かって神妙に、祈りを捧げる方もいます。


普段はここを素通りするのですが、その日は何故かベイビーが、「どうしてもここに座る」、とその神像の前やサルヴァ・ダルマ・ストゥーパの辺りから離れませんでした。



(サルヴァ・ダルマ・ストゥーパ: あらゆる宗教への尊重と人々の調和を象徴する記念塔)


ベイビーはちょうど真向かいにある歩道に腰かけて、バジャンの真似をしたり、手を合わせて合唱し、お辞儀してみたり・・・と、一人で礼拝ごっこをしはじめました。


ダルシャン会場にいても、たまに特定の参拝者を見つけては、「ほらほら!」と、ちょっかいをかけて上を見るようにジェスチャーをしたり、瞑想をしている特定の人を見つけると、ポンポンっと肩を叩いて、覗きこむように、にっこり笑顔を送るベイビー。

一体ベイビーに何が見えているか私には判りませんが、一応・・・「子どもは神」と言われているインド。 よっぽどひどい場合や相手が嫌がっていない限り、今のところ、とりあえずは好きなようにさせています。


そうしてしばらくすると、セヴァダルが(セヴァダルに配るための)プラサードを持ってきたのを見つけました。嬉しそうにセヴァダルの所までトコトコ歩いて行き、「ちょうだいっ!」と手を出してプラサードを見事にゲットしました。


・・・なんというか、恥ずかしい。


そこで満足したのか、ベイビーはようやく、ガーヤトリーテンプルへと歩きだすのに合意してくれました。



午後ダルシャンが終了する頃には、無数の鳥(おそらく、鳥ではなくこうもり)が、スワミのご邸宅横の大木に飛んできます。 それを見上げながら、「Bird、Bird!」とベイビーに教えていた時です。


初めてみる、みすぼらしい恰好をしたおばあさんが、ふと私達に声をかけてきました。


子どもが大好きなインドの人達・・・。私たちは見知らぬ人によく声を掛けられます。
そして、先ず第一声で聞かれるのが、「Naam kya?(名前は何?)」。全くヒンディー語がわからない私でも、ここまで毎日同じことを聞かれると、ついに条件反射でベイビーの名前を口にするようになりました。 


・・・、身なりも良くないし、浮浪者が誤ってアシュラムに入って来たのかも・・・という思いが一瞬、脳裏を過ぎりました。眼光も鋭く、少しオドロオドロシイ感じがしたので、いつものように名前を告げて、さっと笑顔で立ち去ろうとしたその時でした。


「え?」 私は、耳を疑いました。


「No, no, that’s not what I mean. (違います、それを言っているのではありません。)」



訛りのない、完璧な英語に私はギョッとして立ち止まり、改めて、おばあさんの方に向き直りました。
そのおばあさんは、とうてい、高等教育を受けた方には見えなかったからです。



ボロボロのサリーに皺くちゃのビニールバッグを手にしたおばあさんは、はっきりと、こう言いました。
「What is your mother tongue? (あなたの母国語はなんですか?)」


「Japanese. (日本語です。)」
軽いショックを受けながら、かろうじて、私は答えました。


そうするとおばあさんは、さらにこう続けました。
「Then what do you say “Bird” in your mother tongue? (それでは、あなたの母国語で、BIRDはなんというのですか?)」


「トリです。」


それを聞いたおばあさんは、念を押すようにこう言い残し、静かに去って行きました。
「Then, you teach her that word. (では、あなたはその単語を教えなさい。)」



まるできつねにつままれたような気分でおばあさんの後ろ姿に丁重に頭を下げ、「あれはいったい何だったんだろう?」と思い返しながら、私は、ガーヤトリーテンプルへと歩いて行きました。


***


バイリンガルの家庭で、ありがちな悩みではありますが、「どの言語を先ず教えるか」は、インドに来てからの私の悩みの一つでした。


彼の前ではもちろん英語で話しますが、ベイビーと二人っきりの時に日本語に切り替えると、ベイビーが混乱するのでは・・・?と思ったこともありますし、プッタパルティにいると、本当にたくさんの方がアドバイスをしてくださいます。


そしてその全てが、正しいように思えて、実際、混乱していたのです。


私たちが懇意にしている先生の奥さまは、 「ベイビーが皆と話せるように、先ずは英語。その後、日本語、ヒンディー語、そしてテルグ語を教えたらよいでしょう。」と仰います。また、ある先生は、「ベイビーが困らないように、スパイシーなものを食べる訓練をし始め、英語を学ばせなさい。」と仰います。

それをもっともだと思った私は、母が日本から送ってくれた絵本を、わざわざ英語にアドリブ通訳して読み聞かせをしたりしていました。


ですので、この日、通りすがりのおばあさんから授かった御言葉は、今まで抱えていた迷いを一掃してくださった「天の助け」のように思えました。



スワミは仰います:


あなたの母国語を愛しなさい。
そのときあなたは、
すべての言葉が
あなたの母国語と同じほどに
甘美であることを発見するでしょう。

サイババ



ところで・・・母国語と同じく、それぞれの母国には、その土地や風土に根付いた信仰があります。

ヒンドゥー教徒に改宗し、インドで暮らす私たちは、ガーヤトリーテンプルにお参りし、プージャーに参列しますが、日本に戻ると、神社仏閣にお参りし、護摩焚きを捧げます。

私たちはあえて意識をしないと、つい、「私(たち)が信じる信仰の方が、他の宗教より効力があり、より優れている」と思いがちです。
しかし、母国語が大切なように、それぞれの母国に根付いた信仰にも効力があり、それによって、土地それぞれの氏神様に祈りをお捧げすることも大切なんだなぁ・・・と思う今日この頃です。


サイの学生に、サイババが語られた言葉です:

「如何なる姿形に向かって捧げられた祈りでも、最終的にその祈りを受け取るのは私です。帰依者の祈りが真摯であれば、その帰依者が信奉する姿形を通して、私はその者の祈りを叶えます。」

サティヤサイ・ババとは誰なのか? 〜 編集後記 より



サルヴァ・ダルマ・プラールタナー:様々な神や諸宗教の師を讃えた讃歌

(サルヴァダルマ Sarva Dharma: あらゆる宗教への尊重と人々の調和)





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