インド式・男女の距離の取り方(前半)


結婚直後、私からすれば「当たり前」、彼からすると「信じられない」行動をとっていたために何度か「話し合いの場」が設けられた。そしてそれは文化の違いから、たいてい、外出先で勃発した。
繰り返すようだけど、インドにおける男女のダルマ(Dharma)は、西洋文化に影響されている国々(日本を含む)の常識や社会通念は、はっきり言って、ほとんど、通用しない...と思う。幼少期から教わるインド式・男女の距離の置き方は、西洋文化の影響を受け、物ごころついた頃から共学で育った私達には驚愕に、値する。


霊性と結婚」の中でサイババは、「共学の教育機関で何が起こっているかといえば、自己をコントロールすることができない時期にある、感じやすい年頃の少年と少女が、初対面で互いに視線を交わし合い、それから、微笑みかけ、話をし、手紙を交わし、さらに親しくなり、最後には一緒になるのです。先ずあなたがたは自分の視覚をコントロールしなければなりません」と語っている。


例えば、プッタパルティサイスクール(小学校)に通うご父兄によると、サイスクールは男女同じ校舎に通うものの、校舎の中ははっきりと男女別に分かれているとのこと。教室は、男子は左棟、女子は右棟に分かれていて、寮はそれぞれ別の階。食堂の利用に至っても、男女が使用する時間帯がきっちりと分かれているため、男女の生徒が出会うことはほとんどないらしい。そして、女生徒が男子の顔を見たり、話をしたりすることは厳禁…。低学年の間は共学なのかな?と思っていたから男女完全、別々になっていたとは知らなかった。

「すごいねー」と言いながら、彼にこの話を聞くと、「そうなんだよー」という軽い答えが返ってきた。

視線のコントロールは徹底していて、サティヤサイ大学・アナンタプール校の女子学生も、一般人(一般帰依者)に見られることは厳禁なのでプッタパルティで劇を披露することはなく、スワミがアナンタプールにいらしたときだけ文化プログラムを上演するそう。
そういえば、パルティで上演される各国の文化プログラムも、年頃の男女が劇で共演しているのを見たことがないかも。どの国も歌舞伎と一緒で男性が女装して演じている。女性を「見る」ことも、女性が「見られる」ことにも距離を置いているのは、さすが、聖地であり霊性修行の場所だからだと思う。

ちなみにプッタパルティでのサリーの着方を私は秘かに「パルティ着」と呼んでいて、ひたすら肌を隠すことが良しとされている。同じ着方をチェンナイなどの大都市ですると、たまに見知らぬアンティー(年上の女性)から「(外国人は)着方を分かってない」と、粋なサリーの着方を伝授される。



「・・・そうすると、男性が女性を見るというのは?」  何気に、彼に聞いてみた。
「最大の、罪である」。 
え…? (心の声。)
「そして、異性と話をするのもいけない」。
「・・・でもあなたは、私とよく話をしているじゃない。 私は女性なのに話していいの?」 ここまで来ると、質問というか探求に近い。
「そう、キミと話すのは、OK。女性でも、相手が母や妻、そして姉妹の場合は、許される。 もしそれ以外の異性と話さなければいけない場合は、用件のみに徹して最小限に抑えなければならない」。
へー、(心の声。)
「そして、他の女性のことを想うなんぞすると、地獄に行く。」
「え?」 ・・・絶句。
「例えば・・・」、
目を丸くして黙っている私に対して彼が説明した。この世に完璧な男性や女性など、存在しない。完璧なのは神様だけ。誰にだって至らないところは、ある。それをお互いが補い合って歩んでいくのが結婚生活なんだと思う。神様によって与えられたパートナーが期待に沿わないとか言って、「あの人の方が良かったなぁ」なんて他の異性に思いを馳せるなんてことをすると、地獄行きらしい。
まるで水戸黄門の印籠を目の前で掲げられたような気分。 思わず、「ははーっ!」と床にひれ伏す自分を想像した。 いやー、文化の違い。


古き良きインドのしきたりとして、「男性は男性と、女性は女性とのみ交流すべき」という考えが地方では未だに根強い。そしてこの「交流」は、対面的なことだけでなく、心の交流さえも禁じている。
敬虔なヒンドゥー教徒からすると当たり前だけど、日本人からすると戸惑うこと・・・そういうことはたくさんある。

例えば既婚者は、異性に携帯番号やメールアドレスなどを教えてはいけない。こんなことをまったく知らなかった私はある時、弁護士に連絡先を教える際、「彼が仕事中で電話を取れないかもしれない」と気遣い、弁護士の携帯を彼の目の前でお聞きした。その上、日本で培った(相手の手間を省く)ビジネス流儀として、二人の目の前で弁護士の携帯に電話をし、この番号を登録ください、とお伝えした。 
そうすると何が起こったか?
彼だけでなく、弁護士先生も唖然とした様子で固まっていた・・・。
私は何か間違ったことをしたのだろうか・・・? 咄嗟に自問自答してみるものの、答えが見つからない。帰りの車で彼に、善意から出た行為なのは分かるけど、あぁいうことをすると、インド(人相手)では軽い女性だと思われるので、今後一切しないようにね、と文化の違いを諭された。そして、その電話番号は、その帰り道で短い生涯を終えた・・・。


渡印直後、インド人と結婚した外国人女性が「夫以外の男性と話をしてはいけない」というルールを知らなかったから慣れるまで苦労した…と言っていたのを聞いた時、おそらく冗談か、大げさに言っているのだろうと思っていた。まさか、それが冗談ではなかったと知る日が訪れるとは、当時の私は夢にも思わなかった。

ある日、私が心を交せる数少ない日本女性の一人に「ねぇねぇ、聞きたいことがあるんだけど」と相談されたことがある。それはアパートを借りて、大家さんと契約内容を商談する場面の出来事。
意思決定者である大家さん(男性)は、私の知人(女性)とは全く会話をしようとはせず、何かを伝える際には必ず、横に座っている大家さんのご夫人に対して、発言する。そしてそのご夫人が、彼女に対して情報を伝える。
このご夫人は、自らの意見を主張したり意向を反映させようとはせず、ただただ、「通訳者」に徹していたそう。現地語のテルグ語から英語に「通訳する」、というのであれば納得するものの、全て英語で成り立っている会話。
普通に話すのと比べると、少なくとも二倍の時間はかかるであろうこの伝達方法…。「あれは、なんでかね?」と聞かれて、私は「そうそう、不思議だよね」、と苦笑することしかできなかった。インドでは「男性は男性と、女性は女性とのみ交流すべき」という考えが根強く、ダルマに忠実であろうとする人ほど、現代でもその習慣を固く守っているのだと思う。
私も彼と一緒に買い物に行って初めのうちは、店員の言葉を通訳するために耳打ちする彼の言葉を聞きながら「私が英語を聞きとれるのを知っているはず…だよね?」と不思議に思っていた。最近はもうすっかり慣れたけど、これもまた、妻は夫とのみ意志疎通をすべきという倣わしからきているのだと思う。




(後半に続く・・・)





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