「サティヤサイババとは誰? 〜 近代聖者達による証言 1 」

日本では一般的に、サティヤ・サイ・ババは霊能者、もしくは宗教指導者として認識されています。
しかし世界的には、スピリチュアルリーダーとして広く知られています。 

(Spiritual Leaderは、霊的指導者や、霊性の師の意。なお、霊能者とは、霊的存在や霊的世界と接触・交流する霊能力を持つとされる人物のことを指し、宗教指導者とは、一つの宗教・宗派で指導的立場にある者を指します。)


他国から日本は仏教国として知られていますが、恥ずかしながら私自身、初詣や観光、そして法事以外に、神社仏閣へと足を踏み入れることは、そう滅多とありません。
以前、仕事でタイに行った時、スケジュールの都合で一般の路線バスに乗ったことがあります。その時私たち以外は全員、タイ人でした。そしてある街角を曲がった時、乗客が一斉に、左側を向いて胸の中央で手を合わせたのを覚えています。一体何ゴト?と思って窓の外を見てみると、皆の視線の先には、小さなお堂が立っていました。バスの中から乗客が、仏像に向かって礼拝を捧げていたのです。その時、「微笑みの国タイランド」という頭の中のテロップは、「信仰の国タイランド」というテロップに、入れ替わりました。


かつて私は、宗教に対して、あまり良いイメージを持っていませんでした。学生時代、歴史の授業で「宗教戦争」というものがあると知った時、私は心の中で思いました。
「一体人はなぜ、愛という名のもとで、争うんだろう・・・?」と。
「有史以来、もっとも血を流してきたのは正義と神」であることを学んだ私は、一種の宗教アレルギーに陥りました。 今から考えると、良識のある一般人ならごく普通の反応なのかもしれません。


すべての宗教は、
愛、同胞愛、犠牲、平和、真実
といったものを強調しています。
ですから、
宗教の名のもとに戦うことは
ばかげています。


宗教間の争いに関してこのように語るサイババの講話の中に、私は、長年抱き続けていた疑問への回答を見つけました。


『各宗教間の相違はどうして生じたのでしょうか?それぞれの宗教の創始者がこの世を去ってから、時の経過とともに後継者達が創始者の教えに反しそして彼等の個人的な利益のためにお互いに争ったからです。そして、各宗教内で分裂が起こり、分派が形成されました。これは個人の利己的な動機の結果 であって、元の創始者の責任ではありません。

ヒンドゥ教であろうが仏教であろうが、ジャイナ教であろうがシーク教であろうが、キリスト教であろうがイスラム教であろうが、神は一つで唯一です。自分の宗教に大きな愛を公言する人達が、自分たちの宗教の方が他の宗教よりも優れていると思っているとすれば、それは空想に耽っているにすぎないのです。
もしあなたが全ての宗教の神は一つであると宣言するのであれば、何故にヒンドゥ教の優越性を主張して他の宗教をけなすのですか。どの宗教も他の宗教を非難することを許してはなりません。他の宗教のあら探しをするようなものは宗教ではありません。それは傲慢というものです。』 「GEMS OF WISDOM P333」より。


「神は万物に浸透する」と断言するサイババは、宗教指導者ではなく、スピリチュアルリーダーとして知られています。


それでは、宗教と、スピリチュアリティ霊性)はいったい、どこが違うのでしょう?


宗教というのは既存の四大宗教を指し、最近でてきた新興宗教のことをスピリチュアリティと呼ぶのでしょうか?霊性スピリチュアリティという言葉を聞くと、ニューエイジ的な思想や超能力が思い浮かびますが、覚者たちは、ごく普通の言葉で、とってもシンプルに、その相違を語ります。

そして近年、多くの指導者達が口をそろえて、「宗教とスピリチュアリティ霊性)に区別を設けるべき...」と提唱しています。


例えばバンガロールアシュラムを構えるシュリ・シュリ・ラビ・シャンカールは、スピリチュアリティ霊性)と宗教の関係は、バナナとその皮のようなものだと提言しています。
「宗教は果物の皮であり、各宗教が定める戒律を実践することは、最も大切な、皮に包まれた果物そのものに到達する方法でしかない」・・・と。
バナナの皮の剥き方は文化によって異なります。左手でバナナを持ち、右手で皮を剥くという方法を好む人もいれば、ナイフフォークを使って皮を切り、フォークで口に運ぶ方法を好む人がいるのと同様、宗教文化によって食べ方は違っても、結局みんな、同じものを食べています。


自らを“ スピリチュアル・リーダー ”と称するチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世は、「宗教とは、ある信念の伝統や救済に対する主張であり、スピリチュアリティは人間の心の質に関係するものである」と説いています。


「宗教間の調和が必要である」と説き、「基本的な人間的生活を維持するために、必要な資源をすべての人に供給することは、社会の責任である」という理想に対して模範を示すサイババは、自身について次のように語ります。
『私は信奉者や帰依者を自分の信者として引きつけようとはまったく思いません。私は唯一の信仰、霊的原理、愛の道、愛の徳、愛の義務、愛の責務をあなたがたに教えるためにやって来たのです。』


私は今、プッタパルティに住んでいます。
サイババの本拠地、プラシャーンティ・ニラヤムのアシュラムには、参拝に宗教制限がなく、カルト宗教のような、「今の宗教を止めて私だけを信じなさい!」というようなことをサイババが絶対に言わないため、あらゆる宗派の人々が、巡礼にやってきます。

これだけ宗教闘争が頻発する現代において、サリーを着たヒンドゥー教徒シーク教のターバンを巻いた人、キリスト教の修道服を着てロザリオを握りしめる女性に、イスラム教徒の黒いアバヤの衣装や、仏教徒の袈裟を着た人々が一つの建物に集まって、それぞれの神を想いながらサイババのダルシャンを待つ光景は、ある意味、壮観です。

宗派を超える、様々な人々や聖者が信奉を寄せるサティヤサイババとは、いったい誰なのでしょう?


唯一の宗教が存在します、それは愛という宗教です
唯一のカーストが存在します、それは人類というカーストです
唯一の言語が存在します、それはハートという言語です
唯一の神が存在します、神はすべてに遍在しています


そして一体何の目的で、超常現象を起こし、公共事業並みの奉仕活動を指揮して、人間の内に本来備わっている、「真実、正義、愛、平安、非暴力」という根本的な価値や資質を人々に思い起こさせることに、その人生を捧げたのでしょうか?


サティヤサイババに関して、近代聖者達はこう語ります。


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「至福に浸る聖母」という名を持つ、今世紀最高の聖者の一人として知られているアーナンダモイ・マー
常に神聖な意識で満たされ、発する言葉は真理そのものというその純潔さから、彼女自身も神の化身として多くの人から信奉されていました。
パラマハンサ・ヨガナンダの著書「あるヨギの自叙伝」にヨガナンダの横に立つアーナンダモイマーの写真が掲載されています。)

アーナンダモイ・マーに近しい西洋人帰依者の話では、彼女は長年、「サティヤ サイババという人物の名前をよく耳にしますが、いったい誰なのですか?」 という質問を度々受けていたそうです。
しかし、彼女がそれについて返答することは決してありませんでした。
そうして逝去する一年前、同じ質問を受けたアーナンダモイ・マーは、遂にこう答えました。
「この身体は、その質問に対して一度だけ、答えを授けます。ですから二度と同じ質問してはなりません。サティヤ サイババは、この地球上に降臨なさった神の中でも史上最高に強力な神の化身です。そしてあの方のような高次元の意識体は、少なくともあと60世紀は降臨することはないでしょう。」 【1】

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他にも、同じような証言があります。
世界中の霊性探求者たちに影響を与えたパラマハンサ・ヨガナンダが肉体を去る前に、アメリカ人女性の弟子がヨガナンダにこう申し出ました。
「師よ、私はあなたがもうすぐ肉体を脱ぎ去られるのを知っています。どうか私も一緒に連れて行って下さい。あなたは私の神です!」
それに対してヨガナンダはこう答えました。
「神は、神です。私はあなたのグル(霊性の師)でしかありません。」
「しかし師よ、もしあなたが私を置いて行かれるのであれば、私は自らこの命を絶ちます!」
ヨガナンダはこう諭しました。
「バカなことを言うのは止しなさい!神御自身が、今、この地球の南インドに降臨しておられる。そのお方の名は、サティヤサイババです。私が去った後、あなたはサイババのそばで暮らすことになるでしょう。」(その予言は正しく、ヨガナンダの死後、このアメリカ人帰依者はサイババのアシュラムにて余生を過ごしました。)【8】

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抱きしめる聖者アンマ、聖母の化身と言われているマーター・アムリター ナンダマイー(通称親しみをこめてアマチ)に、ある帰依者が、「サイババとは何者ですか」と尋ねました。それに対してアンマは、アヴァター(神の化身) 。生まれながらにして完璧なお方です。」と答えました。 【9】

出典: R. D. Awle - Copyright 2001.


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「サティヤサイババとは誰?? 〜 近代聖者達による証言 2 」 に続く



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