プッタパルティ観光ツアー:2


5.ブッカパトナム小学校

若かりし頃、サイババプッタパルティからブッカパトナム小学校まで、毎日6キロの距離を徒歩で往復されていたそうです。


皇居一周が5キロと言われていますが、南インドの炎天下の中、毎日ここをお歩きになったとは・・・。

今回、かつてサイババが歩いた道を、車で移動しましたが、けっこうな、距離でした。

ちなみにSai Innter Skyのブログ写真にて、小学校の生徒名簿にサイババの名前が明記されています。


道中には、バス停がありました。
車やバイクを持たない村人にとっては、路線バスが唯一の移動手段だそうです。

また途中で、ダサラ祭期間中に、サティヤサイ大学の教授と学生が一丸となって行う“グラマ・セヴァ”対象地区も案内して頂きました。


“プッタパルティ”は、ウィキペディアにて次のように説明されています。

『街の見どころは、「プラシャーンティ・ニラヤム」という通称で親しまれるサティヤ・サイ・ババの主要アシュラム。その設立に伴い、ショップ、レストラン、宿泊施設等が近隣に展開して経済効果が生まれ、プッタパルティは小村から規模的な街へと発展した。』

今回、周辺の村を実際に目にしたことによって、“小村から街へと発展した”という意味が、なんとなく分かったような気がします。
チットラヴァティー河にかかる橋を越えたところで、向う岸に広がるプッタパルティの街並みを眺めた時、 (周辺の村落の生活水準からすると)まるでマンハッタンに聳えるビル群に見えました。

以前、スワミの親戚が、“もしサイババがここに降臨なさらなかったら、私たちはこの貧しい村で、細々と農作業をしていたでしょう。こうやって、プッタパルティの村人や親族の私たちが豊かな生活ができるのも、すべてスワミのおかげです”と仰っていたのをお聞きしたことがありますが、この風景を見ると、なるほど・・・と説得力がありました。



6.山間の黒線

グーグルの衛星写真にもはっきりと写っているこの、黒い線。

これは大昔からあったそうで、村人の間で、様々な諸説が交わされているそうです。そしてなかでも有力な説は、次の二つだそうです。


1) ハヌマーンがヒマラヤの高山の山頂を持って飛んでいた時、尻尾が地面について黒くなった。 
2) かつてこの周辺を統治した王様が、領土を示す為に、境界線として黒い岩を積ませた。

余談ですが、ブッカパトナムの向こうに見える小高い丘に正式名称はついていないそうですが、サイ大学の寮生の間では、便宜上、『シヴァの丘』と呼ばれているそうです。


7.サイババがよくランチを食べていた寺院

ブッカパトナム小学校から貯水池に向かうKTC BKPロード(KTCバス社が通る車道)沿いに、ぽつんとドゥルガー女神を祀る寺院がありました。

とても古く、参拝者もごく限られているそうですが、ここは、かつてサイババが小学校に通っていた時に、よくランチをお召し上がりになっていた寺院だそうです。
  
インドには、どんなに小さな村にでも神様を祀る寺院があります。
これには、「どこにいようとも、常に神の存在を思い起こすことが出来るように」、というバーラタ人(神を愛する人の意味)の信仰心が根底にあるそうです。
 



8.ブッカパトナム貯水湖


サイ・ババがマハーサマディーを迎える前後から、湖が干乾びたそうです。

地元の人曰く、短期間でこれだけの水が無くなるのは、ありえないそうですが、今回訪れた時も、かつての貯水湖は、巨大な盆地になっていました。 

(雨季には水が張るそうですが・・・この光景を見たら、節水しないと・・・という気になりました。)
この貯水湖は500年〜600前に、この土地の藩主(王様)が、水不足を回避する為に人工的に作ったものだそうです。




9.サティヤ・サイ・プラシャーンティ・ニラヤム駅

プラシャーンティ・ニラヤム・アシュラムから10キロ弱のところに、インド鉄道の駅、SSPN(サティヤサイプラシャンティニラヤム駅)があります。

昼間の電車の発着はないため、のんびりとした時間が流れていました。

駅が出来たのはつい7−8年前で、以前は、北部から来る参拝者は、ダルマーヴァラム駅、南部から来る参拝者はペヌコンダ駅を利用しブッカパトナムを経由してプッタパルティに向かっていたそうです。

その当時は、チットラヴァティ河の水深が深く、橋など一切なかったそうです。参拝者は荷物と子どもを牛車に乗せ、大人達は、河の中を歩いて渡ったそうです。

ちなみに、プッタパルティ周辺の地名には、〜Palli という名称が多いですが、“パリ”というのは、テルグ語で“村”を意味するそうです。


10.スーパースペシャリティー病院(シュリ・サティヤ・サイ高度専門病院)

バンガロールからプッタパルティに行く時、いつも右手に見えるスーパースペシャリティー病院。
和訳すると、“高度専門”病院となりますが、英語/カタカナで言い慣れているせいか、“スーパースペシャリティ”という方が感覚的にしっくり来ます。

病院の中には、スタッフの居住地、キャンティーン、テイクアウトの屋台カフェもありました。

中心には、プレヤーホールがあります。

病院内は土足厳禁。
酷暑のなか、火のように熱い大理石の床を、とび跳ねながらダッシュしたのが思い出に残りました。


こちらの動画は、ほぼ同じルートを車で回った方の記録ビデオ。12年前の映像ですので、多少街並みに変化はありますが、病院の雰囲気は変わりません。



明日から週末まで、バンガロールに行ってきます♪






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