ヒンドゥー教徒の不思議★習慣 2.


日本にも古くから伝わる迷信がたくさんありますが、ヒンドゥー教徒の間でも、世代を超えて語り継がれている不思議な習慣が健在しています。前回に引き続き今回も、日ごろ聞いて???と思ったしきたりをご紹介したいと思います。


4.起床時と日没前に、キャンドルの灯を点す。
起床と共に祭壇の前のキャンドル(もしくはギーの油)に火を灯して暗闇を祓い、日没後には、最低でも数分間はジョーティ(火)を灯し、ラクシュミー女神を家にお迎えする。。。暗闇には魑魅魍魎が潜むとも信じられているので、悪魔よけの為にも、インドではフットランプとか、神様の写真が施されたミニ常夜灯がいろんな場所で販売されている。
些細な行為に対しても、深遠な意味が含まれているヒンドゥー教
サイ・ババは、光の祭典、ディーパヴァリーの講話にて『暗闇』を次のように説明している。

「暗闇とは何でしょう? 暗闇の一つの形態は悲しみです。平安のないことも暗闇です。死も暗闇です。失望も暗闇の一つの形態です。災いも暗闇です。やる気のなさも暗闇です。これらはすべて、暗闇のさまざまな形態です。悲しみという暗闇を取り除くには、幸福という光に火を灯さなければなりません。病という暗闇を晴らすには、健康という光を据えなければなりません。損失と失敗という暗闇を乗り切るには、繁栄という光を導き入れなければなりません。」

ちなみに私たち夫婦は、ディーパヴァリー(Diwali)の早朝に簡単な式を挙げ、新居の祭壇に数多くのキャンドルに火を灯してから、日本へと旅立った。その際、「キャンドルは最後まで燃やし尽くさないといけないから、このまま出発しよう」とヒンドゥー教徒の慣わしを説く彼と私は、初めての異文化交流・・・というかちょっとした押し問答を繰り広げた。
地震が多発する日本で生まれ育った私は、「火の元を消さずに外出するなんて、とんでもない!火事になったらオオゴトよ」と言い、「火によって私たちのエゴが燃え尽きるようにという祈りも込めているから、途中で消すなんてダメだよ」と言い張る彼。結局この日は、二週間近くも家を留守にするんだから、と私のお願いを聞いてもらった。
思えばこの日が、私にとって非常にディープな意味での新たなる文化交流の幕開けであった。


5.夕食にヨーグルトを摂ると、借金を抱える。
これは出処がはっきりしていないので、迷信かどうか微妙ですが、ヒンドゥー教徒の一部の地方では夕食時にカード(ヨーグルト)を摂ると借金を抱えると言われている。またこの他にも、火曜日と金曜日(特に夜)には、牛乳やカード(ヨーグルト)を貸し借りしてはいけないという言い伝えもある。なんでもこれは、牛乳やカードは富と繁栄を司るラクシュミー女神として扱われているから、とのこと。また、アーユルヴェーダ的にも、身体を冷やす効果のあるヨーグルトは(既に気温が下がっている夜間に摂取すると)消化を妨げたり風邪をひきやすくなると言われている。
新しい住居に住み始める前に行う入居儀礼(Griha Pravesh Puja)の最も簡易版として、プージャリ(司祭師)も呼ばずに家人が火を沸かし、「牛乳を沸騰させて吹きこぼす」という「吹きこぼしの儀式」がある。しかしこれを日常でやってしまうと、人間関係にヒビが入るので縁起悪いと言われている。
インドでは、「牛乳は何回か沸騰させたほうが消化に良い」と言われているので、各家庭にて加熱処理をしてから飲む、というしきたりがある。沸騰させている間にちょっと目を放したら吹きこぼれる・・・という状況を回避するため、牛乳の脂肪分が膨らんでいく過程を見張り、何回か強火にしたり弱火にしたり・・・と繰り返すコツを覚えると「万が一の不吉」は免れられる(冷汗)。
でもこの下処理、加熱処理済みの牛乳が販売されている日本では必要ないのでは・・・と思っている私。アーユルヴェーダ的なことはともかく、ひたすら衛生面を危惧して加熱しているというのが実情。
あと、独身のときに言われたのが、食べた後、お皿が乾くと「婚期が遅れる」という言い伝え。食べた後は「お皿にうすーく水を張る」というマナーの背後にはそんな言い伝えが・・・と妙に納得したことを覚えている。


6.土曜日には鉄製品や金属製品を購入しない。
とある昔、9惑星の神々(ナヴァグラハ)が時の皇帝、ヴィクラーマ ディティヤに、「この中でどの神が最高で最低の部類に属すか、優劣を付けるよう」要請した。幸・不幸をもたらす神々に向かって優劣を宣告するなど畏れ多いこと・・・。この無理難題を解決するために、皇帝ヴィクラーマ ディティヤは、皇帝自身が決定を下さなくてもよいようにと、あることを思いついた。
そこで、同じような見た目の王座を7脚用意し、神々に向かってそれぞれ好きな場所を選ぶよう促した。(ラーフケートゥは実在しない天球上の位置を神格化しているため、7脚)。そして全員着席後、皇帝は「玉座の底をご覧になり、各位で優劣をご判断ください」と告げた。
裏を見てみると、玉座それぞれ素材が異なり、非常に高価な金製から最も安価な黒金属の鉄製といった、品質の違う金属に分かれていた。そして、最も安価な鉄製の玉座に座った神が一番下である、という理解がなされた。
不運にも、鉄の玉座に腰をかけたのは、恐れ崇められる土星神、シャナイシュチャラShaneeswara」。怒った土星神は、皇帝に対して、「今に誰が一番強いかを思い知らせてやる!」と言い放った。その後、皇帝は土星神がもたらした不運、ダシャー(Dosha)によって両手を失い、王国までも失うという実にむごい試練を被った。土星は恐ろしい障害をもたらす凶星といわれている反面、正義を司る吉星としても尊ばれている。不運のサイクルが終わろうとする時、土星神は、いとも勇敢かつ美徳を損なわずに試練に立ち向かった皇帝を祝福した。そして、皇帝も自身の過ちを省みた。(英語版ウィキペディアによると、違う説としてトラブルばかりを起こす土星神にプライドの高い皇帝が土星神の価値を認めなかった、という言い伝えもある。)
このことから、土星神の怒りに触れることを恐れ、土曜日には鉄や金属製品を購入して(家に持ち帰って)はいけないという習慣が根付いたそうな。 


7.沐浴時の服装
古くからインドでは、もし、大切なところを見られたらその相手から結婚を迫られても拒絶できない、という言い伝えがある。なんでも、「見てしまったからには貴方はもう私のもの」という理屈がまかり通る、らしい。シャワーなんてなかった時代には川での沐浴が一般的だったはず。灼熱の気候と宗教的背景によって、頻繁に沐浴する人々がもたらした知恵だろうか?裸の付き合いを厭わない、「日本の温泉文化」を知ったら、きっと驚いて興ざめするに違いない。
その上、ヒンドゥー教徒には独特の浄・不浄の概念が定着していて、よく知られているカースト制度の他、身体の部分、例えば上半身、下半身にもその観念は及ぶ。幼児の身体には、「下半身の不浄が上半身へと伝わらないように」との願いと共に、白や黒の腰紐が巻かれている。そして自分の身体でさえ、そういった不浄なものを目にするのは罪に値するということで、インドの人々は下着を着けたまま沐浴し、最後に不浄な場所を洗って沐浴を終えるとのこと。
いやー、この貞操観念、徹底しているなぁ…というか、様々な年齢層が利用する公共機関で、半裸の女性のグラビアを広告として掲載しても何のお咎めもない日本もちょっとは見習ってもいいのでは?と思う今日この頃。
ちなみに「表現の自由・発言の自由」を国家のモットーとしているアメリカでさえ、公共機関でPG指定(子供の鑑賞に、保護者の指導を推奨する映画・音楽・写真等)を掲載することは処罰の対象になっているのだから、(戦後、他国から与えられた)民主主義にそろそろ慣れてきた日本も、少しは法を介入させても良いような気がするのは私だけかしら? 




下記は次回に続く・・・

★ 対人関係編

★ 女性の所作編



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