サイババへの手紙 〜 Part.4


ジョーティッシュ占星術師の“お告げ”が示したタイムリミットの一日前、2009年9月5日のダルシャン終了後。
コングラッチュレーション!」
彼から国際電話が入り、スワミが手紙をお受け取りになったという報告を受けた。

夢に出てこられたのだから、ある程度予想はしていたけれど、実際に『結婚』が現実となったと聞くと、「なんだかとんでもない事になってしまった…」 という意識で足がすくむ思いに駆られた。 

「これから私の人生、一体どうなるんだろう…」 微かに浮かぶ不安を拭うように、言葉を続けた。
「そう、おめでとう。 それで、なんて手紙を書いたの?」 冷静さを失わないようにそう聞く私に向かって、サイババに受け取って頂いた手紙のメモを、彼が読み上げた。


信愛なるマザーサイ

スワミ、僕の就職の面倒見てくださってありがとうございます。スワミの御加護により、今年の6月にチェンナイのIT系の会社に無事、就職することができました。
占い師によると、僕の結婚相手は、日本人帰依者のSaiLaksmiさんであると鑑定されました。SaiLaksmiさんはあなたの熱心な帰依者であり、素晴らしい女性です。もし、スワミが彼女との結婚を祝福してくださるのであれば、どうか夢の中でなさったように、優しく僕に微笑みかけ、スワミ御自身の御手で、この手紙をお受け取りください。そしてスワミ、セヴァダルに取ってもらうのは、嫌です。スワミ御自身の御手でこの手紙を受け取り、どうか夢の中でなさったように、僕を祝福してください。
スワミがこの結婚をお認めくださるのなら、双方の両親の許諾や子どものこと、そして結婚にまつわる一切のことを、全てスワミが取り計らってくださいますようお祈り致します。この結婚を通して僕達夫婦が、スワミの良きインストゥルメントとなりますように。

あなただけが頼りです。

あなたのよき子ども、SDより


「どう?」 手紙を読み終えた彼は、 「いいでしょ?」と言わんばかりに私の感想を聞いた。
「スワミの学生」に対する美化されたイメージのせいか、無意識のうちに、帰依心に溢れ、霊的で美しく飾られた愛の言葉を予想していた私。

「・・・ うーん ・・・。」 なんて単刀直入な手紙・・・! しかも、完全に依存しまくっている。 はっきりと覚えていないけど、最低でも5秒間は、絶句していたと思う。


「ハロー?どうしたの?」
「え、 いや、ううん・・・。 あのぅ・・・。 本当に、そんな手紙を書いたの!?」
「え・・・、そうだけど、何か…!?」  
まるで、キョトンっという感じ。

その上、かつてラーマであり、クリシュナであった崇め奉るべきアヴァターに向かって、かなり突っ込んだ要求を突き付けるなんて! そんな無礼をして、いいのかな? なんだか色々と混乱して、手紙を受け取って頂いたという『事実』よりも、手紙の『内容』の方に言葉を失ってしまった。

多分・・・だけど、私の性格上、もしこの手紙を書いたのが家族とか、気心の知れた知人だったら、スワミはアヴァターなんだから、「もう少し霊的で尊敬を込めた内容にした方がいい」、とたしなめていたかもしれない。でも、相手は私よりもサイババと接してきた経験を遥かに積んでいるスワミの学生。いくら気心が知れているからって手紙に関して私の立場で彼に向って苦言を呈するのは無知愚昧というもの。

遠く離れた異国の地で語られる、「こうすべし論」って一体何なのかな? 心の中でそびえ立っていた威厳ある柱が、ガラガラと崩れ落ちて行く気がした。

もし手紙の内容を鳥の親子に例えるなら・・・。
彼の手紙は、まるで雛鳥がエサを求めて必死でピーチクパーチク鳴いているような感じ。当然、親鳥がやってこなければ、雛鳥は息絶える。
一方、私が考える “理想の手紙”は、ある程度識別心を介した、自立した成鳥。親鳥がやってこなくても「何とかやっていけます」、というスタンスを取っている。
そしてこの場合、親鳥はどちらの方に飛んでいくかというと・・・ひとまず成鳥は置いといて、やはり、真っ先に雛鳥の方に飛んで行くのだと思う。


こんな彼の手紙に対してサイババは如何に対応されたかというと・・・、願いどおり、「彼に優しく微笑みかけ、スワミの御手で手紙を受け取り」、パダナマスカールを授けて周囲にもわかるよう充分に祝福を施された。ダルシャン終了後、彼は周りに座っていた学生に、「スワミがとっても祝福されていたけど、なんて手紙を出したの?」と聞かれたほど、とっても解り易く祝福してくださったらしい。それに対して彼は、 「今は言えないけど、後に良いニュースを報告出来ると思う」とだけ、伝えたそう・・・。

サイババは、「無私の奉仕の精神、無限で純粋な愛、汚れのない心から生ずる祈りのみが、直接至高神に届きます」と、純粋性に関する御言葉集の中で語っている。
「汚れのない心」なんて言葉を聞くと、また私は色々と、子どものような声色で歌うような類の純真無垢さを醸し出す方法を模索しそうだけど、ぶっちゃけ、頭で色々と細工するよりも、心の奥深くから湧いてくるストレートな思いを直球で、ぶつけるのが一番良いのかもしれない。
何故なら識別という名のもとで作為を凝らせば凝らすほど、「あ、私は大丈夫ですから」と、神に言っているようなものかもしれないから・・・。


サイババへの手紙 〜 Part.5に続く・・・。





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