チェンナイに戻る


11月後半から約17日間過ごしたパルティにお別れを告げ、チェンナイに戻る。昨晩、母が早朝3時の飛行機で日本へと帰国した。

12月に入ってからサイババはダルシャン会場に入・退場とも車いすで移動されていたので、女性の帰依者にとっては真近にスワミを拝見する機会が増えてとても喜んでいた。車移動の場合、スワミにお手紙をお渡しする機会はほとんどないし、床に座っている目線からサイドウィンドウ越しのスワミを謁見しようとしても、ガラスの反射で遮られたりするので、やはり、「生」でスワミの御姿を拝見する違いは大きいように感じる。

それにしても、降誕祭が終わったあともダルシャンラインに並ぶ帰依者の数はあまり激減していなかったような気がする。

クリスマスにはキリスト教徒の国々...主に西洋人がコーラスグループを組んでデヴォーショナルソングやキャロルを捧げるプログラムが毎年用意されるので、それに合わせて欧米の帰依者や学生は(コーラスグループに参加できるよう)、12月上旬からパルティに来訪し始める。
去年の今頃、インド移住のために一時帰国していた私は、ネットで配信されるクリスマスプログラムの様子を見て、「来年はスワミの近くでみんなと一緒に歌いたいなぁ…、ぜひ来年は参加しよう!」と、ほのかな希望を抱いていたけれど、それもなんだか空に消えていきそうな感じが・・・。ほんと、この2−3年は予想外の展開が続いている。


ここにきて、「人間に自由意思はあるのかな」といった疑問や、「幸せとはなんだろう?」といった思いが心に浮かぶことがある。占い好きな妹がインドに来ていたこともあり、この数カ月でインド人・日本人の占い師、計5人の方々に結婚を含む諸々を鑑定して頂いた。その結果、ある程度、「体験すべきこと(体験しなければいけなかったこと)」はそれぞれの人生に決められているような気がした。

輪廻転生という概念が根付いているインドでは、「過去生でこれがあった」から「今、こうなっている」という思考の延長線上で人生を鑑定しているので、なんとなく、つじつまがあうように思える。それを、今生で「どう・誰と」体験するかということに対しては、多少の選択の余地があるのかもしれないし、ないのかもしれないし・・・。

例えば、私はこの時期インドで、結婚相手と出会うという風に言われていたので、どれだけ縁があっても、心の中で好いていても、この時期にたまたま、アメリカとかギリシャにいる人と出会って結婚することはなかったのだと思う。そこまで大きな地理で考えなくても、日々の行動範囲で交流する人は限られていて、絶対に交流しない人、絶対にある一線を越えた交流はしない人、というのも「自由意思が与えられる前の」条件設定として決まっているような気がする。とにかく、人の幸せは、環境の状態ではなく、心の容態に左右されるので、決して外からは計り知れない、奥深いものなんだなぁという感慨深い思いが心を満たす。


チェンナイは今、冬だというのに気温は高く、窓の外ではカンカン照りの太陽の下で、洗濯ものがひらひらと風に揺れている。チェンナイには「Hot・Hotter・Hottest」の3種類の気候しかないらしく、今はとっても過ごしやすい気候らしい。私は、エアコンを節約しようと、ノースリーブで過ごしている。


彼の受験勉強も一息ついたので、しばらくは、チェンナイ散策をしてみたいと思います☆

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