神様からの贈り物、プラサード


日本には、供物(仏教)、神饌神道)として伝わっているプラサード。

御本家インドでは、ヒンディー語Prasad)で恵み深い施し物という意味で通常、お供え物のお下がりを指します。と、同時にサンスクリット語(Prasāda)では神々や聖者が有する寛容・寛大な精神状態を表し、神聖化された食べ物、慈悲、助力、援助、親切、光輝、明瞭など、様々な日本語に翻訳されています。(プッタパルティのアシュラムがあるテルグ語圏では、プラサーダム。。。)他にも、男の子の名前(ギフト、恩寵、神への捧げもの)にもなります。・・・そういえばインド人の元同僚に、プラサードさんという方がいました。


前回のブログで、彼から何度も「プラサードをもらったら一口だけでも絶対にその場(ダルシャン会場)で食べるようにね」、と言われていた・・・という話を挙げたので、今日はそれにまつわるエピソードを・・・。彼曰く、この言葉の背景には長時間座っていてお腹が空いてるだろうから・・・とかの気遣いではなく(笑)、れっきとした霊的な理由があるとのこと。 


それは、サティヤサイ大学のとある数学科の授業中の出来事。
教授がふと授業を中断し、こんなことを話し始めたそう・・・。


゜・*:.。. .。.:*・゜テーマは、プラサードのいただきかた ゜・*:.。. .。.:*・゜
プラサードが配られたときは、それが良きにせよ悪しきにせよ、美味しくとも不味くとも、頂かなければなりません。
プラサードをいただく際はそっと目を閉じて、こう祈るのです。「スワミ、これはあなたからの贈り物(プラサード)です。これによって、私の肉体的、精神的、霊的な病が癒されますように」
そして、スワミがダルシャン会場にいらっしゃるその場で、口に運びなさい。何故なら、プラサードを頂く際、スワミから流れ出る神聖なエネルギーも食べ物と一緒に体内に摂取することができるからです。

When we receive the Prasad, whether it’s good or bad, tasty or untasty, we should partake of Prasad.
When we take Prasad, just close your eyes, pray to Swami that, “Swami, it’s your Prasad, it will cure my physical, mental, and spiritual disease” then we should partake of it.
We should partake of the Prasad, then and there itself in mandir because when we intake, we also intake the divine energy that flow out from Swami.

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【この教授は、インド最難関の理工系エリート、インド工科大学-IITにて教授を務めた後、サイ・ババへの帰依心からプッタパルティに移り住み、以後20年以上にわたって主にサティヤサイ大学の大学院生を対象に教鞭を執っていたという御年90超歳の女性教授。男子校のプラシャーンティニラヤムキャンパスで女性が教授に就任するのはとても珍しく、極めて難易度の高い分野を担当なさる方で、確固たる帰依心を持ち備えている人材のみが選出されるそう。最近は引退されてアシュラム内のアパートに住み、日々ダルシャンに参列されています。】
余談ですが、同教授に結婚のご報告に伺った際、なかなか婚姻届が出せない状況をお伝えすると、御自身の経験を交えながら鋭い目線でインドの現状をお話くださいました. . .いや、 「若いうちにインドの実情に晒されて、それも少額の被害で済んで良かった・・・」と諭された、と言ったほうが近いかもしれません(苦笑)。


さて、プラサードといえば通常、寺院等で儀式(礼拝)前かその間に食べ物をお供えし、神様の祝福や聖なる波動を受けたお下がりを、参拝者がいただきます。プラサードは、神様に捧げて神聖化されたお供え物・・・。プッタパルティのアシュラムにあるガーヤトリー女神を祭るテンプルでは、このルールを遵守していて、プージャ(神への儀礼式)終了後、アールティ(献火)に差し掛かった時に参拝者がガーランド(花輪)とか、お供え物を持ってきても、きっちりにっこりと、「明日にしてね」、と断られます。
そういったシーンを目にすると、こういった“宗教儀礼”に慣れていない日本人の私は、「おぉーやっぱ、形だけじゃないんだ・・・」と妙に感心します。。。


パルティのダルシャン会場では、プラサードの用意を希望する帰依者がサイババの許可を得てから各自(インド各地・世界各国から)用意するため、それこそ色んな食べ物が出てきます。
(食べ物以外にも、時には聖者にまつわる小冊子やお数珠も!)

そしてバジャン終了後、スワミに祝福して頂いてから、サティヤサイ大学の学生...人手がいないときは卒業生(男子)、黄色いスカーフをしたセキュリティの卒業生(女子)、お祭りの際には主催国・主催地のセヴァスタッフによって、参拝者に配られます。(←これはお祭りの際の写真。スワミの学生さんでお髭を蓄える方は、ほぼ皆無だそうです。)



尚、24時間ぶっ通しでバジャンを歌い続けるアカンダバジャンマハーシヴァラートリーなど、特別な祭事期に配られる食事以外は、プラサードをアシュラムのキャンティーン等で用意することはないそうで、腐ったものや、痛んだ食べ物は、普通出てきません・・・(苦笑)。

というのも、ある参拝者が「痛んだプラサードが時々出る・・・」といっていたのを聞いて、在学中、プラサードの配布係をしていた彼に、このことについて一度聞いたことがあります。彼曰く、遠地で用意して何日も経って痛んだ食べ物がお供え物として用意されたことはあるけど、そういったものはサイババがプラサードとして配る許可を下ろさない、とのことです。(実際、プラサードが裏で用意されていても、スワミが許可しなかったので配布されなかったことも何度かあるそうです。ま、灼熱のインドですから日本とは状況がちがうっちゃあ、違いますね。 うっかり、そんなものなのか…と、根拠のない悪評の流布を信じてしまうところでした(笑)...確認して、よかった。)

しかし、10月のダサラ祭の期間中に2週間弱に渡って盛大に行われるグラマセヴァ(村落の村人へ衣類や食物を配給する奉仕活動)の最終日に、パルティの参拝者に配られるラドゥー(Laddu)は、サウスキャンティーンの二階で何百人というセヴァスタッフ(外国人も参加可)が、何万個も作り続けるので、ひょっとして第一弾に作っていたものが後のほうに混ざっている・・・かもしれません。
さすがにこの時期ばかりは、食前の祈りをきっちり唱えてから頂いた方が良さそうです。(彼曰く、もし痛んだプラサードが手元に届いたときは、妄信的に食べてしまわず、識別心を効かせて傷んだ部分を取り除き、大丈夫なところを頂く、というのが良いそうです。)


また、違う形のプラサードとして、一昔前の映像を見ると、誕生日の学生がお菓子を入れたお皿を持って立っていて、サイババがそのお菓子を掴んで参拝者に投げる・・・というシーンがありましたが、近年これは、「誕生日トレイ」というものに変わったそうです。


サイスクールの寮には予め、誕生日を迎える生徒のために何個もこの「お菓子の詰め合わせ?プレート」が用意されていて、誕生日の学生はそれを持って、ダルシャン会場でスワミに祝福を受けるそうです。
そしてダルシャン終了後、仲間や知人に分け与えて神様からの祝福を共有するそうです。
何度か私もおこぼれを頂く機会がありましたが、誕生日にスワミに祝福された人・・・というのはどことなくキラキラとして雰囲気が違い、「あー、恩寵流れてるなぁー」というのがなんだか分かるような気がします。


ちなみに、食物や健康に関するサイババの教えをまとめた書籍、プラサードのリンクはこちら。数ある講話の中から、食物や健康に関する言葉を選び出してまとめたもので、食が人々に与える影響、菜食の必要性、健康を保つ秘訣など、食に関する真実がわかりやすく書いてあります。


ところで、プラサードといえば寺院で頂くお下がりを指すことが多いけど、ある学生はとてもユニークな形でこのプラサードをスワミから頂いています。


オリッサ州出身のある生徒が、サウス・インディアン・キャンティーンで食事を摂った後のこと。
サウスキャンティーンといえば、ものすごくスパイシーな南インド料理を出すアシュラム内の食堂。支払いはクーポン式になっていて、あまりの辛さに、極力利用を控える生徒たちもいるそうです。
その日、お金が全くなかった彼のポケットの中に入っていたのは、クーポン6枚だけ。育ち盛りの彼は、クーポンをすべて食事に使い切ってしまった後、辛さで口の中が火を吹いている状態で、必死でスワミに祈ったそうです。

「スワミ、辛くて辛くて仕方がありません。どうか、ラドゥーを一つ、僕にください。お願いします、スワミ。辛いです。ただ、どのような形になろうとも僕はそれをスワミからのプラサードとして受け取ります。」
彼は必至に祈った。
・・・しかし、クーポンが突如現れることもなく、仕方なしにキャンティーンを後にし、ゴ―プラムゲートの前に祀ってあるラーマ神像に礼拝をしてから、部屋に戻ろうとした。

と、するとちょうどそこに別の学生が通りがかり、彼に声をかけてきた。両手には、山積みになった15個のラドゥーを抱えている・・・。「持ちにくくて仕方がないから、このラドゥーを鞄の中に入れて!」
彼はそれに応えるよう、ラドゥーを鞄の中に入れようとした。だけど、どんなに入れようとしても、入っていかない。
何度か試した後、その学生が、こう言った。「ごめん、時間がないんだ。今から直ぐに家に帰らないといけないから、このラドゥー、全部キミにあげるよ。」
「え? 全部!?」彼は心の中で呟いた。「これはスワミからの恩寵かもしれない・・・それにしても、15個も・・・!」
しばらく経った後、インタビューに呼ばれた彼は、サイババからこう告げられたそうな。
「あの時、君はラドゥーを一つだけ欲しいと願っただろう?その祈りに答え、私は、余分に14個、あげたんだよ。」


また、この学生さんはある時期、身体を壊していて、ほとんど食事を摂らない日々を過ごしていた。その際、サイババに、こう説かれたそう。
「しっかりと、食事を摂りなさい。ダルシャンでは、強烈な霊的エネルギーが、私から君達に注がれます。しかし、君の体が弱っていて、肉体的にそのエネルギーを受け止められなければ、すべてそれが、私に戻ってくるのです。だから、しっかりと食事を摂り、体力をつけなさい。」
それから彼は、どんなに病気をしても、食事を抜くことはやめ、必ず何かを口にする習慣がついた・・・とのこと。


プラサードは、何も寺院で礼拝の後に頂くお供え物に限らず、(常により良いものを目指しながら)人生における全ての出来事がスワミからのプラサード、神様からの贈り物として受け取っている学生は、本当に多い。この最高にバランスのとれた全托の精神というか揺るぎのない帰依心・・・もしかしてそれが、スワミの学生と帰依者の違いなのかも・・・と痛感する今日この頃です。



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