ラーマナヴァミダルシャン

午前中、サイババは、黄色のローブを纏い、黄金のふちどりで飾られた車いすでダルシャンホールに現れた。

最近は通常、9時にバジャンが始まるけど、午後のダルシャンなど、スワミが予定時間前にダルシャンホールに入場する際にはサイスクールの学生や帰依者がバジャンの代わりにヴェーダを声高々に吟唱する。サイクルワントホール内にスピーカーが設置されているから、ホールにいなくても、アシュラム近辺にいれば、あ、今サイババがホールにいるから早くいかなくっちゃ…と心が躍る。
ガナパティープラールタナーからはじまり、ナーラーヤナウパニシャッド、ルッドラムやはじめて聞くようなヴェーダが、1時間近く唱えられた。バジャンが始まったのは、10時過ぎ。

午後のダルシャンには、7時過ぎまでサイババによるディスコース(講和)があった、そうな。

5分後は数時間後、一時間後は明日になることが日常茶飯事のインド。私は時間どおりに来ない業者を相手に、引越し作業に追われていた。
インドの国有航空会社、エアインディアは平気で6時間とか14時間も遅れることが頻発すると聞いたことがあるけど、会社が信用を失って廃業に追いやられることもなく、利用者はそれを受け入れて特に、気にしないらしい。
なんて、おおらかな。ストレスを感じることもなく、流れに委ねられる利用者の対応の方に、驚異に感じる。インド時間への洗礼。私の中にある行為者意識が減って愛が深まるか、思い通りに進まないと苦悩してストレスで胃を壊すか…行く末に関しては、神の御加護を祈りたい。

よく挨拶する西洋人のセヴァダルに、今日、引越しで講和が聞けなかったの…(泣)と告げると、少し残念そうに、「We are here for Baba(私たちはサイババといるためにココにいるのに)」と言われた。
ほんと、その通りだと思う。プライオリティーの付け方が間違っていたような気が、しないでもない。

サイババを知る前、私はよく自責の念に駆られて必要以上に自分(と、他者も)を痛めつけることがあった。本当の愛を知り、それは無意味だったことに気付いてからは、そんなことはもうしない。


ディスコース(講和)の数日後には、文字起こしした講和内容を現地語と英語で読むことができる。
心から、楽しみです。